ヴィルモス・スィグモンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィルモス・スィグモンド( Vilmos Zsigmond、ジグモンド・ヴィルモシュ、またはヴィルモシュ・ジグモンド、 1930年6月16日- )はハンガリーのセゲド生まれの映画キャメラマン、撮影監督。
[編集] プロフィール
父親は著名なサッカー選手兼コーチ。十代半ばで写真、絵画について興味を持ち、その延長で映画の道へと進む。ブタペストの国立映画演劇アカデミーに入学後は、映画撮影で修士号を取得、その後、5年間の実地の後に、撮影監督の地位につくが、ハンガリー動乱に巻き込まれ、その様子を撮影したフィルムを持ってアメリカへ亡命することとなる。
亡命後はユニオンの規制が激しく、また語学面での問題もあったため、なかなか映画の仕事にとくことができず辛酸をなめるが、当時隆盛であった低予算映画に活路を見出し、その分野のカメラマンとして活躍、ホラーからドキュメンタリーなどあらゆるジャンルの映画を担当する。
やがて、効率のよさと芸術や撮影技術に長けた面がブライアン・デ・パルマやロバート・アルトマン、マイケル・チミノ、スティーブン・スピルバーグといった新進気鋭の若手監督の注目を集め、彼らの「ギャンブラー」、「スケアクロウ」、「続・激突!/カージャック」などといったアメリカン・ニューシネマの傑作を数多く担当し、一躍、新世代のアメリカ映画を代表する名カメラマンへとなった。
低予算で鍛えた効率のよさに加え、ズームレンズや高感度フィルムといった当時の最先端の技術を駆使し、芸術的な映像美を作り出すことで知られ、「未知との遭遇」では、徹底したリアリズムとファンタシズムの融合という難題をこなし、見事アカデミー賞撮影賞に輝いた。また、現像処理についても、撮影前にごく少量の光を未感光のフィルムにあて、くすんだ色調を作り出すという「フラッシング」という手法を開拓するなど技術革新や表現に多大な貢献を果たしている。
70代をすぎた現在も現役で、近作「ブラックダリア」ではデジタル処理を取り入れるなど意欲的に活動している。
2003年、ICG(国際撮影監督協会)は映画撮影史上最も影響を与えた人物としてビリー・ビッツアー、ジョーダン・クローネンウェス、コンラッド・L・ホール、ジェームズ・ウォン・ハウ、 ヴィットリオ・ストラーロ、グレッグ・トーランド、ハスケル・ウェクスラー、フレディ・ヤング、ゴードン・ウィリス、と並んでヴィルモス・スィグモンドを選出した。
[編集] 主な担当作品
- 「ギャンブラー」-McCabe & Mrs. Miller (1971)
- 「さすらいのカウボーイ」-The Hired Hand (1971)
- 「脱出」-Deliverance (1972)
- 「ロング・グッドバイ」-The Long Goodbye (1973)
- 「スケアクロウ」-Scarecrow (1973)
- 「続・激突!/カージャック」 -The Sugarland Express (1974)
- 「愛のメモリー」 -Scarecrow (1973)
- 「未知との遭遇」-Close Encounters of the Third Kind (1977)
- 「ラストワルツ」-The Last Waltz (1978)
- 「ディア・ハンター」-The Deer Hunter (1978)
- 「ローズ」-The Rose (1979)
- 「天国の門」-Heaven's Gate (1980)
- 「ミッドナイト・クロス」-Blow Out (1981)
- 「ザ・リバー」-The River (1984)
- 「イーストウィックの魔女たち」-The Witches of Eastwick (1987)
- 「硝子の塔」-Sliver (1993)
- 「わかれ道」-Intersection (1994)
- 「マーヴェリック」-Maverick (1994)
- 「暗殺者」-Assassins (1995)
- 「マイ・ハート、マイ・ラブ」-Playing by Heart (1998)
- 「メリンダとメリンダ」-Melinda and Melinda (2004)
- 「ブラック・ダリア」-The Black Dahlia (2006)