ディア・ハンター
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ディア・ハンター The Deer Hunter |
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監督 | マイケル・チミノ |
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製作 | マイケル・チミノ バリー・スパイキングス マイケル・ディーリー ジョン・リヴェラル |
脚本 | デリック・ウォッシュバーン |
出演者 | ロバート・デ・ニーロ クリストファー・ウォーケン ジョン・カザール ジョン・サヴェージ メリル・ストリープ |
音楽 | スタンリー・マイヤーズ |
撮影 | ヴィルモス・スィグモンド |
配給 | ユニバーサル映画 |
公開 | 1978年12月8日 1979年3月 |
上映時間 | 183分 |
製作国 | アメリカ |
言語 | 英語 ロシア語 ベトナム語 フランス語 |
制作費 | 1500万$ |
興行収入 | 4900万$ |
allcinema | |
キネマ旬報DB | |
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IMDb | |
『ディア・ハンター』(The Deer Hunter) は、1978年公開のアメリカ映画。製作はユニバーサル映画、監督はマイケル・チミノ。脚本はデリック・ウォッシュバーン。主演はロバート・デ・ニーロ。第51回アカデミー賞並びに第44回ニューヨーク批評家協会賞作品賞受賞作品。ベトナム戦争を扱った映画であり、また1996年に米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の中の1本である。
1960年代末期におけるベトナム戦争での過酷な体験が原因で心身共に深く傷を負った、3人の若きベトナム帰還兵の生と死、そして友情を描いている。主人公たちの故郷であるペンシルバニア州の田舎町におけるゆったりと流れるようなタッチから一転して、戦場における壮絶な心理描写に切り替わる、183分の長尺を存分に生かした手法が特徴的である。特に、後半部分で大きなキーポイントとなるロシアンルーレットの緊迫感と悲劇性は映画史上において名高い。反戦映画という形態ではないが、戦争の悲劇性を描いた数多くの作品の中でも際立って高い評価を受けている作品である。
しかし、ベトコンを一方的に残酷的に描きながら、アメリカ軍による現地住民に対する虐殺行為や、枯葉剤の散布といった功罪の描写が極めて少ないことを「ベトナム戦争の正当化」「ベトナム人に対する差別」と捉える観衆も少なくなく、歴代のアカデミー賞受賞作品の中で、観るものにより評価が大きく分かれている作品の1つでもある。チミノが次回作『天国の門』の公開後に映画界から事実上追放された背景には、製作会社を倒産に追い込むほどの赤字を記録した他にもこのような原因が存在すると推測される。
目次 |
[編集] キャスト
- マイケル(Michael Vronsky)・・・ロバート・デ・ニーロ
- ニック(Nikonar Chevotarevich)・・・クリストファー・ウォーケン
- スタンリー(Stanley Stosh)・・・ジョン・カザール
- スティーブン(Steven)・・・ジョン・サヴェージ
- アクセル(Peter Axelrod)・・・チャック・アスペグレン
- リンダ(Linda)・・・メリル・ストリープ
- ジョン(John Welch)・・・ジョージ・ズンザ
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] ストーリー
ピッツバーグ郊外にあるロシア系移民の町クレアトンの製鉄所で働くマイケル、ニック、スティーブン、スタン、アクセルの5人組は休日になれば全員で鹿狩りに赴くごく平凡で仲の良いグループである。そんな彼らにもベトナム戦争の影が迫っていた。
ある日、ベトナムに徴兵されるマイケル、ニック、スティーブンの壮行会がスティーブン、アンジェラ夫妻の結婚式も兼ねて行われた。一夜明けて彼らは揃って鹿狩りに出かけた。その時マイケルの頭の中に一抹の不安がよぎる。「果たして無事ベトナムから帰還できるだろうか・・・」。その不安は的中した。
ベトナムにおけるアメリカ軍は予想外の苦戦を強いられていた。マイケルは偶然にも戦場でニックとスティーブンに再会する。しかしベトナム軍の攻勢はとどまることがなく3人は捕虜となってしまう。閉じ込められた小屋の中では世にも恐ろしい賭けが行われていた。ロシアンルーレットである。銃弾が放たれる音を聞いたスティーブンは発狂寸前となった。マイケルは意を決してリボルバーに込める弾を増やすことにした。それを面白がるベトナム兵の隙をついたマイケルは次々とベトナム兵を射殺しスティーブンとニックを連れて脱出。丸太にしがみついて濁流を下るところを自軍のヘリコプターに見つけられたが、マイケルとスティーブンは力尽きてしまう。
2年後、マイケルは生還。故郷の仲間たちはマイケルを温かく迎えたがマイケルに以前のような明るさはない。その頃スティーブンは脚を失い陸軍病院で治療の日々を送っていた。スティーブンによるとニックはベトナムで生きているらしい。それを聞いたマイケルは陥落寸前のサイゴンへ飛んだ。
マイケルはようやくニックを見つけるが彼は既に廃人と化しておりロシアン・ルーレットの射手として日銭を稼いでいた。必死の呼びかけにも応じないニックを連れ戻すためマイケルは自らニックの相手を買って出る。「故郷に帰ろう」「山を、一本一本高さが違う木を覚えているか」マイケルの呼びかけにニックは微笑んで言った。「鹿は一発で仕留めるんだ」マイケルが最後の鹿狩りの時に言った言葉がニックに決心させた。自らの頭部に向けて引き金を引くことを。そしてその瞬間、弾は発射されてしまった。
[編集] 受賞/ノミネート
[編集] 第51回アカデミー賞
- 受賞・・・作品賞/監督賞/助演男優賞/音響賞/編集賞
- ノミネート・・・主演男優賞/助演女優賞/脚本賞/撮影賞
[編集] 第33回英国アカデミー賞
- 受賞・・・撮影賞/編集賞
- ノミネート・・・作品賞/監督賞/脚本賞/主演男優賞/助演男優賞/助演女優賞
[編集] その他
- 第36回 ゴールデン・グローブ賞 監督賞
- 第44回 ニューヨーク批評家協会賞 作品賞/助演男優賞
- 第13回 全米批評家協会賞 助演女優賞
- 第4回 ロサンゼルス批評家協会賞 監督賞
- 第53回 キネマ旬報ベスト・テン 委員選出外国語映画部門第3位/読者選出外国語映画部門第1位
- 第22回 ブルーリボン賞 外国作品賞
- 第3回 日本アカデミー賞 最優秀外国作品賞
[編集] エピソード
- ジャン・スクラグズは『ディア・ハンター』に感銘を受け、ワシントンモールにベトナム戦没者記念碑建設運動を起こした。また、中華系アメリカ人のマヤ・リンによる黒いV型の記念碑は1986年に完成した。
- クリストファー・ウォーケンは、ベトナム戦争の後遺症から心身ともに疲弊し痩せ切った青年を演じるため、1週間米とバナナと水だけを食し続けた。
- ジョン・カザールは撮影前に癌を患い製作会社は彼に降板を催促したが、チミノやデ・ニーロが「カザールが降板するなら自分も降板する」と主張したことで降板は免れた。結果的にカザールは収録こそ完遂したものの、公開を待たずに夭折。遺作となった本作品がアカデミー賞の作品賞を受賞したことで、カザールが生涯出演した5本の映画全てがアカデミー賞にノミネートされ、そのうち3本が作品賞を受賞したこととなった。
1961: ウエスト・サイド物語 | 1962: アラビアのロレンス | 1963: トム・ジョーンズの華麗な冒険 | 1964: マイ・フェア・レディ | 1965: サウンド・オブ・ミュージック | |