三の丸尚蔵館
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三の丸尚蔵館(さんのまるしょうぞうかん)は、東京都千代田区千代田の皇居東御苑内にある、宮内庁所管の博物館施設である。昭和天皇の崩御の翌年、1989年に皇室から国(宮内庁)に移管された美術品を保存、研究、公開するための施設として1993年に開館した。
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[編集] 開設の経緯
日本の皇室は、儀式の際に用いる屏風、刀剣や歴代天皇の筆跡などの伝来品のほか、京都御所や東京の宮殿で用いた調度品、近代以降に華族、財界人、海外の賓客などから献納された美術品、院展などの展覧会で買上げた美術品など、多くの美術品や文化財を所有していた。こうした皇室所有品のことを「御物」(ぎょぶつ)と称する。第二次世界大戦後、かつての皇室財産はかなりの部分が国有化された。正倉院と正倉院宝物は宮内庁の正倉院事務所、京都御所、桂離宮、修学院離宮は宮内庁京都事務所の管理下におかれ、陵墓出土品や古文書・典籍などは宮内庁書陵部の管轄となった。そして、これら以外の、第二次大戦後も皇室の私有品にとどまった文化財は引き続き「御物」と呼ばれることになった。
1988年12月、昭和天皇の崩御に伴い、残された美術品類を国有品と天皇家の私有品に区分けする必要が生じた。そして、「三種の神器」をはじめ、歴代天皇の肖像・筆跡、皇室の儀式に用いる屏風や刀剣類など、皇室にゆかりの深い品は引き続き「御物」として天皇家の私有品にとどまることとされたが、それ以外の絵画、書、工芸品などの美術品類約3,180件(約6,000点)は1989年6月、皇室より国に寄贈された。これらの国有財産となった美術品類を適切な環境で保存研究し、一般に公開する目的をもって1993年、三の丸尚蔵館が開館した。その後、秩父宮妃の薨去後の1996年に秩父宮家が所有していた品々が寄贈され、2001年に香淳皇后の遺品が寄贈され、高松宮妃の薨去後の2005年に高松宮家が所有していた品々が寄贈された。2006年の時点で、約9,500点の美術品類を収蔵している。
なお、宮内庁管理の美術品(正倉院宝物や書陵部管理品を含む)は文化財保護法による指定の枠外となっており、三の丸尚蔵館の所蔵品も国宝、重要文化財等の指定の対象外であるが、絵巻の「蒙古襲来絵詞」「春日権現験記絵巻」や狩野永徳の代表作「唐獅子図屏風」など、美術全集や教科書でおなじみの名品が多い。
[編集] おもな収蔵品
[編集] 絵画
- 蒙古襲来絵詞-鎌倉時代。細川家家臣の大矢野家から1890年献納。
- 春日権現験記絵巻20巻-延慶2年(1309年)完成。鷹司家より献納。
- 絵師草紙-鎌倉時代
- 海北友松(かいほうゆうしょう) 浜松図屏風
- 海北友松 網干図屏風
- 南蛮人渡来図屏風-桃山時代。徳川家献納。静岡市・来迎寺伝来。
- 狩野永徳・狩野常信 唐獅子図屏風
- 伝狩野永徳 源氏物語図屏風-旧桂宮家伝来。
- 狩野探幽 源氏物語図屏風-旧桂宮家伝来。
- 岩佐又兵衛工房 小栗判官絵巻 15巻
- 円山応挙 群獣図屏風
- 伊藤若冲 動植綵絵(どうしょくさいえ)30幅-江戸時代
- 酒井抱一 花鳥十二ヶ月図-江戸時代、文政6年(1823年)
[編集] 書跡
- 伝空海筆 孫過庭書譜断簡-京都・毘沙門堂門跡より1880年献納。
- 小野道風筆 屏風土代-延長6年(928年)。井上馨旧蔵。井上家より1925年献納。
- 本阿弥切本(ほんあみぎれぼん)古今和歌集-平安時代(12世紀)
- 安宅切本和漢朗詠集-伝源俊頼筆。平安時代(12世紀)。近衛家より1878年献納。
- 雲紙本和漢朗詠集-伝藤原行成筆。平安時代(11世紀)
- 巻子本(かんすぼん)和漢朗詠集-伝藤原公任筆。平安時代(12世紀)
- 粘葉本(でっちょうぼん)和漢朗詠集-伝藤原行成筆。平安時代(11世紀)
- 金沢本万葉集-伝源俊頼筆。平安時代(12世紀)。
- 藤原佐理(すけまさ)筆 書状(恩命帖)-平安時代(10世紀)
[編集] 近代美術
- 横山大観 飛泉-昭和3年(1928年)
- 下村観山 光明皇后-明治30年(1897年)
- 富岡鉄斎 武陵桃源瀛洲神境図(ぶりょうとうげん・えいしゅうしんきょうず)-大正12年(1923年)
- 竹内栖鳳 薫風稚雀寒汀白鷺図(くんぷうちじゃく・かんていはくろず)-昭和3年(1928年)
- 川合玉堂 雨後-大正13年(1924年)