ノート:三国志 (歴史書)
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歴史書である三国志を三国志というべきだと思います。
>日本では吉川英治の演義を元にした『三国志』があまりにも有名になったため演義を『三国志』、陳寿の方を『正史』などと呼んで区別する。
この書き方だと「正史=三国志」と考える人がいる可能性があります。 正史には三国志以外のものもあるので、この書き方は変えた方が良いと思うのですが。 中国では三国志と呼んで指すのは歴史書の三国志だと思います。日本で三国志演義と呼ばれているのは、中国では三国演義だったり三国志通俗演義ですし。記事名も正史は付けずに三国志と変えた方が良いと思うのですが、少し現在の状況では無理なようですね。何か良い方法を誰か考えてください。これからは、歴史書の三国志を三国志と呼び三国志から派生したものに何かを付け足して呼ぶようにしていった方が良いと思います。演義を三国志とは呼ばず「三国演義」とか「三国志通俗演義」と呼んだり、吉川英治の三国志なら「吉川三国志」とか。本の名前に三国志と付いていたり、ちくま文庫の日本語訳が「正史三国志」と付いていたりするのですが・・・
[編集] 『三国志』の「志」って何でしょうか
じつは「志」は「誌」と同じであり、「誌」は「しるス」と読みます(cf「雑誌(いろんなことを「誌」したもの)」)。そういや「演義」ってどういう意味(なんで「物語」の意味になるの)?「義を演(の)べる」?
- 「演義」はご指摘通り本来の意味は「義を演べる」の意かと。「義」はこの場合は筋道とかそういう意味で、本来は事実を分かりやすく述べることを指してます。そこから転じて、歴史を興味深く通俗的に書いた小説を指すようになったようですね。
- 「志」は正史では主に職官志、地理志等々、制度とかを記す書に用いられますね。確かに正史のタイトルで「志」を使っているのは三国志ぐらいですが、多分三国それぞれを独立した形で記すという他にはない事情からある意味苦し紛れに使っているのではないかと……。Nukkie 2005年5月2日 (月) 02:05 (UTC)
[編集] 統合の提案について
三国志:ノートをご覧ください。siyajkak 2005年8月6日 (土) 14:38(UTC)
[編集] 三国志の成り立ちについて
本文中に、
「三国の記述を独立させ、合わせて『三国志』としたところに本書の特徴がある。また、三国がそれぞれ『魏国志』『蜀国志』『呉国志』として、独立した書物としても扱われていたという。」
とありますが、私の手持ちの本では、「そもそも陳寿の『三国志』は『魏国志』『蜀国志』『呉国志』として独立していたが、北宋の咸平6年(1003年)、国子監で起刊された際に初めて『三国志』として合刻された。」(文章は問題点が分かり易いように書き換えてます。)としています。
ちなみにその本は、徳間書店の正史三国志英傑伝Ⅰ(1994年発行)で、問題としている箇所の執筆担当者は丸山松幸氏・立間祥介氏です。 学術書ではない一冊の本の記述だけで、既述の内容に変えてしまうのは抵抗があるため、どなたかご意見をお寄せ下さい。 他の資料をあたった上で、後者の説が正しいと判断でき、かつ、しばらくしても他の方の意見が寄せられないようなら、訂正します。--甲斐援隊員G 2006年6月15日 (木) 15:41 (UTC)
- 甲斐援隊員Gさんがご指摘されていた件ですが、この本文の文章はいわゆる「ちくま正史三国志」の魏書1(参考文献に記載)の解説に掲載されている訳者・今鷹真氏の説を取ったものと思われます。概要は、
- 『三国志』には全体の目録がなく、『魏書』『蜀書』『呉書』の巻頭にそれぞれ次のような目録が陳寿の署名つきで置かれていること。『魏書 巻第一 武帝 躁』~『蜀書 巻第一 劉二牧 劉焉 子璋』~『呉書 巻第一 孫堅 孫策』(紹煕本参照)。
- にも関わらず、本文前のタイトルは『武帝紀第一 魏書 國志一』~『劉二牧傳第一 蜀書 國志三十一』~『孫破虜討逆傳第一 呉書 國志四十六』等と、「紀」「傳(伝)」の記述と全体の連番が付され、三書合わせて完全な書物になること表そうとしていること(つまり、目次と章タイトルが一致していない)。
- 『隋書』経籍志では史部・正史類に『三国志六十五巻』と一纏めにされている一方、『旧唐書』経籍志と『新唐書』芸文志では史部・正史類に『魏国志三十巻』が、同・偽史類に『蜀国志十五巻、呉国志二十一巻』(原文のとおり)が記載され、独立した扱いになっていること。
- 本来は『三国志』で一纏めだが、それぞれ独立した書物として取り扱うこともできた。
- です。丸山氏らの説が正しいとすると、656年に完成しているはずの『隋書』経籍志に『三国志』の名が見えるのはおかしいです。合刻があったとしても、遅くても唐代にはなされていたとみるべきだと思います。今鷹氏は、これは「おそらく陳寿の原本からそうなっていたと考えられ、(中略)(蜀漢の立場を微妙に持ち上げるための)陳寿の配慮を読みとることができるであろう。」と記しております。…ということで、日本語として若干洗練されていないような感じはしますが、本文の大幅な変更は必要ないと個人的には考えます。--Crystaltear 2006年8月16日 (水) 23:54 (UTC)