上田卓三 (政治家)
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上田卓三(うえだ たくみ、1938年6月24日 - 2005年5月26日)は日本の政治家。元衆議院議員・部落解放同盟委員長。
大阪市東淀川区に生まれる。1958年に解放同盟へ参加。前後して日本共産党に入党するも、志賀義雄らが部分的核実験停止条約の批准をめぐり日本共産党 (日本のこえ)を結成すると後を追う。その後解放同盟大阪府連書記長・委員長を歴任する。
1974年の参院選で大阪府選挙区から日本社会党公認で出馬するが、落選。2年後の衆院選で大阪4区から出馬して初当選する。以後連続6期務め、この間飛鳥田一雄委員長の下で国際局長・田邊誠委員長の下で党副委員長を務めた。1988年にリクルート事件が発覚した際にはリクルートコスモスの未公開株の譲渡先の一人であったことが判明し議員を辞職したが、折からの社会党のマドンナブームなどによる追い風もあって2年後の衆院選で国政復帰。前年の参院選では自らの秘書だった谷畑孝(現在は自由民主党衆議院議員)を参議院議員に送り込んでいる。1993年の衆院選で落選し、政界を引退。その後1996年~1998年に部落解放同盟委員長を務めたが、2005年5月26日、肝不全のため死去。享年66。
『人権、中小企業、国際交流の上田卓三』でを売りにしていたこともあって、殊に被差別部落における中小企業振興で力を振るった。1968年に、部落関係者の企業団体「部落解放大阪府企業連合会」を介した税金申告書を事実上フリーパスとする合意を当時の高木文雄大阪国税局局長と取り付けた。「部落解放大阪府企業連合会」は後に全国的な発展を遂げて現在のティグレとなるが、この合意が却って脱税に悪用されるなど今日では同和利権の一つとして批判の対象になっている。