上覧相撲
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上覧相撲(じょうらんずもう)は、将軍の観戦する大相撲のこと。
広義には、鎌倉時代や室町時代にも上覧相撲は行われていた。これは武芸としての相撲の技を、武士が主君である将軍に披露し競いあったものである。また戦国大名もしばしば相撲大会を催し、優秀な者は家臣に取り立てることもあった。
狭義の上覧相撲は、興行としての勧進相撲の成立した江戸時代、11代将軍徳川家斉と12代徳川家慶の時代に、いずれも江戸城吹上で計7回催されたものを指して言う。
- 吉田司家の吉田追風、町奉行池田筑後守から認められず、6月10日になって老中戸田采女正から行司を命じられた。
- 谷風梶之助 (2代)、小野川喜三郎が横綱土俵入りを披露
- 雷電爲右衞門が陣幕に公式の土俵で初黒星。
- 寛政6年5月 *家斉
- 享和2年12 *家斉
- 雷電が幕下力士5人掛けを披露
- 文政6年4月 *家斉
- 文政13年3月 *家斉
- 天保14年9月 *家慶
- 不知火横綱土俵入り
- 嘉永2年4月 *家慶
- 秀ノ山横綱土俵入り
寛政3年の最初の上覧相撲は、大坂相撲や京都相撲に遅れをとっていた江戸相撲が、これを挽回するために企図した側面も強い。興行政策上のものだった横綱制度も、上覧を得て権威づけがなされることになった。
力士を抱える諸大名にすると、「上様の覚えめでたき」を得られるかどうかがかかっていた。各力士は主君からその旨を厳しく申し付けられ、場合によっては抱えを解かれることさえあった。そのため、上覧相撲は本場所以上の真剣勝負の場となり、当時よくあった預りや無勝負も、上覧にかぎっては適用されなかった。
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