中村修二
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中村 修二(なかむら しゅうじ、1954年5月22日 - )は、電子工学者、工学博士。 青色発光ダイオードや青紫色半導体レーザーの製造方法などの発明・開発者として知られる。 アメリカ合衆国のカリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)教授(Professor of Materials & ECE, Director of Solid State Lighting & Display Center)。愛媛大学客員教授。愛媛県西宇和郡瀬戸町(現伊方町)生まれの大洲市出身(小学校時代に転居)。
日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、会社から約3億円の開発費用の使用を許される。 米国・フロリダ大学に1年間留学後、日亜化学工業に戻り約2億円程度するMOCVD装置の改造に取り掛かるが、社長の交代等もあり研究の取り止めを求められた(著書より)。 その後、青色発光素子であるGaN(窒化ガリウム)の結晶を作製するツーフローMOCVDを発明した。ツーフローMOCVDは通称404特許と呼ばれ日亜化学工業と特許権等を争った。日亜化学工業は同訴訟中にツーフローMOCVDは無価値だと述べており、訴訟終了後に特許権を放棄している。
東京理科大学の大川和宏助教授の研究グループと共同で研究した成果を発表した。窒化ガリウムの結晶と導線で結んだ白金を水に浸し、窒化ガリウムに光をあてると電気が流れ、水を電気分解することによって水素と酸素に分離することに成功した。光を使って水から水素を容易に取り出せる技術であり、新たなエネルギー源として期待されている。
現行の大学受験を廃止し 得意科目だけを生かすような入試のあり方に変えるべきだという大胆な自説を主張している。
[編集] 略歴
- 1965年12月 愛媛県の小学校から兵庫県尼崎市・尼崎市立杭瀬小学校に転入。
- 1967年3月 尼崎市立杭瀬小学校卒業
- 1973年3月 愛媛県立大洲高等学校普通科卒業
- 1977年3月 徳島大学工学部卒業
- 1979年3月 徳島大学工学部大学院修士課程修了
- 1979年4月 日亜化学工業入社
- 1993年11月 青色発光ダイオードを開発
- 1994年11月 徳島大学より「nGaN高輝度青色LEDに関する研究」で博士(工学)の学位を取得
- 1995年12月 InGaN/GaN青色半導体レーザの室温パルス発振を実現
- 2000年2月 カリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学部教授
- 2002年6月 「青色発光半導体デバイスの開発」にて赤崎勇と天野浩と共に2002年武田賞受賞
- 2004年1月30日 東京地裁は、404特許の発明の対価の一部として、日亜化学工業に対して中村に200億円を支払うよう命じた(日亜化学側控訴)。
- 2005年1月11日 東京高裁において、404特許を含むすべての関連特許等の対価等として、日亜化学工業側が約8億4000万円を中村に支払うという和解が成立した。
- 2005年10月 水から容易に水素を取り出す原理の開発に成功
- 2006年6月 愛媛大学客員教授に就任
- 2006年9月8日 フィンランド政府などから、ミレニアム技術賞を受賞した。授賞理由は、青色発光ダイオード(LED)など「革命的な発光デバイスの発明」。
- 2007年1月 世界初の無極性青紫半導体レーザを開発したと発表
[編集] 中村修二と日亜化学
[編集] 外部リンク
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