丹生川上神社
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丹生川上神社(中社) 丹生川上神社上社 丹生川上神社下社 |
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所在地 | (中社)奈良県吉野郡東吉野村大字小968 (上社)奈良県吉野郡川上村大字迫167 (下社)奈良県吉野郡下市町長谷1-1 |
位置 | (中社)北緯34度23分25秒 東経135度59分11秒 (上社)北緯34度19分59秒 東経135度57分20秒 (下社)北緯34度18分22秒 東経135度48分12秒 |
主祭神 | (中社)罔象女神 (上社)高龗神 (下社)闇龗神 |
社格等 | 式内社(名神大)・二十二社・官幣大社・別表神社 |
創建 | 白鳳4年(676年) |
例祭 | (中社)10月16日 (上社)10月8日 (下社)6月1日 |
丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)は、奈良県吉野郡にある神社である。本来は1つの神社であるが、明治以降、歴史的経緯により上社・中社・下社の3つの「丹生川上神社」ができた。上・中・下は神社の格の上下や所在地の位置関係を表すものではない。式内社(名神大社)・二十二社の一社であり、明治以降の3社はどれも官幣大社・別表神社である。本項では3つの丹生川上神社について説明する。
[編集] 祭神
3社とも主祭神は水神である。大正時代に祭神の変更があり、現在の祭神となった。
- 中社 -- 罔象女神、配祀 伊邪奈岐命・伊邪奈美命・八意思兼命・大日霊貴命・与田別命・菅原道真・綿津見大神・開化天皇・上筒男神・大国主大神・事代主大神
- 上社 -- 高龗大神、配祀 大山祇神・大雷神
- 下社 -- 闇龗神
[編集] 歴史
天武天皇の時代の白鳳4年(676年)、「人声聞えざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」との神託により、丹生川の川上に雨水の神を祀ったのに始まると伝える。貴布禰社とともに祈雨・止雨の霊験が高いとされ、朝廷から厚い崇敬を受け、延喜式では名神大社に列格、また、二十二社の一社にもなっている。しかし、応仁の乱以降、奉幣が中止されてからは次第に衰微し、江戸時代に入ったころには丹生川上神社の所在自体がわからなくなってしまっていた。
江戸時代以降、各地の式内社の考証が盛んになり、丹生川上神社については長谷の丹生川沿いにある丹生大明神(現在の下社)に比定する説が有力となった。明治4年(1871年)、丹生大明神が正式に官幣大社丹生川上神社と認定された。しかし、古い記録による所在地の記載と異なるとして異論が上がり、『大日本史』の記載に従って、明治7年に川上村の郷社であった吉野川上流沿いの高龗神社(現在の上社)が丹生川上神社・奥宮に認定された。明治29年には、それまでの丹生川上神社を下社、奥宮を上社に改めた。さらに、大正時代に入って森口奈良吉が、高見川流域の東吉野村の郷社の蟻通神社(雨師明神)が本来の丹生川上神社であると主張しこれが認められたことで、蟻通神社を丹生川上神社中社とした。この際、中社の祭神を罔象女神に、上社を罔象女神から高龗神に、下社は高龗神から闇龗神に改めた。
戦前は、3社で1つの神社としていたが、戦後は分離独立し、それぞれが宗教法人格を取得した。その際、中社は正式名称から「中社」を取った「丹生川上神社」として法人格を取得している。
平成10年(1998年)3月、丹生川上神社上社が大滝ダムの建設に伴い水没予定地内に入ったため、山の中腹に遷座した。旧境内地の発掘調査により、旧本殿の下から11世紀末以前とみられる祭壇跡が出土している。
なお、下社の旧称の「丹生大明神」は、現在は丹生都比売神社の祭神である丹生都比売神のことであるとする説がある。