久米邦武
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久米 邦武(くめ くにたけ、天保10年7月11日(1839年8月19日) - 昭和6年(1931年)2月24日)は、明治から大正期の歴史学者。長男に洋画家の久米桂一郎。佐賀藩士。
肥前国に生まれる。佐賀藩校弘道館で学び、1862年に江戸に出て昌平坂学問所で学んだ後、明治政府に出仕。明治4年(1871年)、岩倉使節団の一員として欧米を視察。帰国後に、『米欧回覧実記』を編集。明治21年(1888年)、帝国大学教授兼臨時編年史編纂委員に就任、重野安繹らとともに修史事業に関与する。在職中の明治25年(1892年)、田口卯吉の勧めにより雑誌『史海』に転載した論文「神道ハ祭天ノ古俗」の内容が問題となり、両職を辞任した(久米邦武筆禍事件)。のち早稲田大学教授。著書に『日本古代史』『鍋島直正公伝』等。
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