二子玉川
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二子玉川(ふたこたまがわ)は東急田園都市線・大井町線二子玉川駅周辺を指す俗称、及び二子玉川駅のこと。住居表示でいうところの世田谷区玉川・瀬田の一部にあたる。「フタコ」、「ニコタマ」という愛称で呼ばれることがある。
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[編集] 二子玉川の範囲
二子玉川の名は、多摩川を挟んで南側の「二子」と北側の「玉川」に由来する。
行政上「二子玉川」という町名・住居表示は存在しない。よって、「二子玉川」の範囲は明確に区画できないが、一般的には、世田谷区玉川の全域と瀬田の南部をさすことが多い。 時には二子玉川駅を最寄とする上野毛・野毛の一部(国分寺崖線下~多摩川沿線付近)、岡本、鎌田、宇奈根といった周辺地域を含んで使用される場合もある。
「二子」という町名は、二子玉川からみて多摩川の対岸にあたる(神奈川県川崎市高津区)にある。
[編集] 郊外SCの先駆・玉川高島屋
玉川高島屋は、1969年(昭和44年)、日本初の郊外型ショッピングセンター (SC) としてオープンした。
当時高島屋は、東京の城南方面を商圏としてカバーしたいと考えており、城南方面からの各路線が集中する渋谷への出店を検討したが、既存の建物で埋め尽くされており、出店の余地がなく、他の街を探すことになる。しかしあくまで都内にこだわり、神奈川県内への出店は全く考えていなかった。これは多摩川を一歩渡るだけで店舗価値・ブランド力が大きく下がる、と高島屋は考えたからである。
そこで自由が丘と二子玉川が候補になったが、多摩川の眺望、当時の地価がそれほど高くなかったこと、当地に二子玉川園があり(現在は廃園)、多くの城南方面のファミリーで賑わっていたことなどが決め手となり、二子玉川への出店が決定された。1996年10月4日の新宿高島屋タイムズスクエア開業まで、高島屋系列で城南方面をカバーする店舗は当SCのみであった。
郊外SCの先駆であり、昭和50年代に入ると玉川高島屋は参考にされながら、郊外SCは爆発的に増え始めた。
現在「玉川高島屋」は高島屋玉川店、玉川高島屋SC、及びその他の付属施設から成る。成城、田園調布、等々力といった高級住宅街に囲まれた、高級デパートの一つである。
[編集] 二子玉川再開発
「二子玉川東地区市街地再開発」は、東京急行電鉄が先導する民間施行の再開発である。
1985年から計画はあったが、地権者等の問題を含み、20年経過した2005年3月に東京都より第一期開発域の着工許可を得た。2006年9月の着工、2009年3月の竣工が予定されている。
計画面積は11.2ha(第一期開発区域は8.1ha)で、民間施行としては全国最大規模。多摩川沿いの駅ビルを軸とした第一街区、超高層の商業棟とホテルを軸とした第二街区、超高層マンション(最高151m)を軸とした第三街区が計画されている。また、駒沢通りが整備され、都心との交通アクセスが向上する予定。
再開発のテーマは国分寺崖線の豊かな緑を基とした自然と都市の調和。
再開発を見据えて1997年、二子玉川駅が大幅改良された。また2004年、駅前(西口)の富士観会館跡に建設された27階建の「プラウドタワー二子玉川」(野村不動産が販売)は最高価格帯が2億円を超える超高級マンションとして話題となった、当地初の超高層建築である。
[編集] 二子玉川の自然
二子玉川近辺の緑地や河川には、都会では貴重な自然が残っている。コイやナマズといった淡水魚、鴨や白鷺といった鳥類の姿も見られる。緑地には運動場のほか、整地されていない原っぱもある。兵庫島とその公園周辺には、そのような緑地が多い。入漁料を払うことになっているが、釣りも楽しめるので、釣り人の姿もある。写真にある兵庫橋は野川に掛かる橋で、駅から緑地に行くための主なルートのひとつ。
[編集] 主な店舗
[編集] 一般道路
- 国道246号/玉川通り
- 東京都道11号大田調布線/多摩堤通り
- 駒沢通り