多摩川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多摩川 | |
---|---|
多摩川(東京都青梅市) |
|
水系 | 一級河川 多摩川水系 |
延長 | 138 km |
水源の標高 | 1,953 m |
平均流量 | 36.6 m³/s (石原観測所 2000年) |
流域面積 | 1,240 km² |
水源 | 笠取山 (山梨県甲州市塩山上萩原) |
河口(合流先) | 東京湾(東京都大田区羽田空港 ・神奈川県川崎市川崎区浮島町) |
流域 | 山梨県・東京都・神奈川県 |
多摩川(たまがわ)(英称:Tama River)は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で一級河川。全長138km、流域面積1,240km²。
目次 |
[編集] 名称
名称の由来は諸説あり、よくわかっていない。万葉集東歌に「多麻河」として登場するが、835年(承和2年)、中央から発せられた官符では丸子の渡し近傍をもって「武蔵国石瀬河」と呼称され、11世紀の更級日記にも同名で現われている。上流の「丹波川(たばがわ)」との近似はよく言われることである。江戸時代には同音の字を使って玉川(たまがわ)の名が使われることが多かった。そのため、現在でも玉川の名は地名などに多く残る。
[編集] 地理
山梨県・埼玉県の県境にある笠取山(かさとりやま)(標高1953m)山頂の南斜面下「水干」(みずひ)を源とする。上流部では柳沢峠から流れ込んでくる柳沢川と合流するまで一之瀬川(いちのせがわ)と呼ばれ、そこから下流は丹波川(たばがわ)と呼ばれ奥多摩湖に注ぐ。多摩川と呼ばれているのは奥多摩湖の湖水の出口である小河内ダムより下流からである。その後青梅までは山中を東へ流れる。この上流部は秩父多摩甲斐国立公園に含まれる。
青梅からはおおむね南東に多摩丘陵と武蔵野台地の間を瀬と淵を繰り返しながら流れ下っていく。左岸の武蔵野台地の河岸段丘はかつての多摩川がつくったものであり、段丘崖は下から立川崖線(府中崖線)、国分寺崖線と呼ばれ、立川崖線の下を多摩川低地、両崖線の間を立川面、最上段を武蔵野面と呼ぶ。羽村市の玉川上水取水堰付近や国立市青柳付近では武蔵野台地の低位面に直接ぶつかって流れているし、多摩市の大栗川合流点から武蔵野貨物線鉄橋・南武線多摩川鉄橋の上流付近までは多摩丘陵に直接ぶつかっている。多摩川の中流に架かる橋を左岸側から撮影すると多摩丘陵が大抵写り込んでいる。そのことからも位置関係を読み取ってもらえるだろう。
東京都調布市、神奈川県川崎市多摩区からは東京都と神奈川県の都県境を流れ、両岸とも低地になる。川崎市多摩区から東京都日野市にかけては多摩川が運んだ礫層が地表に近いため水はけが良く梨の栽培に向いていて特産品になっている。特に川崎市と東京都稲城市が生産の中心となっている。多摩川梨として知られているが、現在は市場にはあまり出回らず、直売されることが多い。
大田区と川崎市川崎区との境で東京湾に注ぐ。河口の左岸に東京国際空港(羽田空港)がある。 下流部は六郷川(ろくごうがわ)とも呼ばれる。
多摩川水系の北側の分水界は秩父から奥多摩の山中では埼玉県との県境を、武蔵野台地では武蔵野面の南縁に近いところを走っていて、玉川上水はほぼそれに沿う形で開削されている。源流から、下流の内上流寄り(三鷹市付近)までは荒川と分水界を接し、下流の内河口寄り(世田谷区付近より下流)では目黒川や呑川と分水界を接する。すなわち武蔵野台地の高位面である武蔵野面に降った雨は地表を流れる分については多摩川にはほとんど注ぐことがない。多摩川の名残川であろうと推定されている流路を伝って荒川水系に注いでいる。しかし、地中にしみ込んだ分は別である。崖線(多摩川中流域では「ハケ」あるいは「ママ」と呼んでいる)下では湧き水となっていたるところから湧き出している。それらの湧水を集めていたのが中流以降の左岸では最も大きい支流である野川である。JR中央線国分寺駅付近にあるいくつかの泉を源流としてほぼ国分寺崖線に沿って湧水を集めながら流れて行き、世田谷区玉川1丁目先で本流に合流している。立川崖線下でも同様に湧水を集めた流れがある。ここでの主役は府中用水をはじめとするいくつかの用水路である。
一方、南側の分水界は関東山地から多摩丘陵の中を通っている。中流以降の多摩川の支流は、圧倒的に右岸に集中している。多摩川水系最大の流域面積を持つ秋川も、最も幹線流路延長の大きい浅川も右岸にある。これは関東平野が周辺部が隆起し中央部が沈み込んでいることの影響である。南側の分水界は上流部では富士川や相模川と中流以降では境川や鶴見川の分水界と接している。
堤防はあるものの、首都圏の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、そのためか川辺の野草も多く野鳥が数多く見られる河川となっている。
[編集] 流域自治体
※ここでの流域の定義は、多摩川に湧水、或いは雨水が流れ込む地域という意味であり、ここに挙げた自治体の存する区域に多摩川が流れているとは限らない。
[編集] 歴史
[編集] 治水
多摩川は勾配が急な川で、そのため古くから洪水が絶えず、「あばれ川」として知られていた。特に下流域での被害が大きく、例えば六郷橋が最初に掛けられたのは1600年であるが、洪水によって頻繁に流されたため、また江戸幕府が多摩川を江戸の最終防衛線と位置づけ架橋を制限していたため、1688年から1874年までは橋が掛けられず渡し舟となった。また、氾濫のたびに流路が変わり、それによって村が分断された地区が数多くあり、等々力、丸子など川の両岸に同じ名の地区があるのはそのためである。現在のような流路に近くなったのは1590年の大洪水による、といわれる。
そのため、古くから堤防が築かれたが、堤防はたびたび決壊し、そのたびに水害をもたらしている。本格的な治水事業が始まったのは1918年からの多摩川改修工事で、この工事は1934年まで続けられ、河口から二子橋までが改修された。その後、日野橋までの間の改修が進められ、その後の氾濫は少なくなったが、それでも水害が起こることがあり、近年では1974年の狛江水害が有名である。ドラマ「岸辺のアルバム」は、この狛江水害を元にしたものである。狛江水害の後、2006年現在まで堤防が決壊するなどの被害は発生していないが、台風などの翌日には、河川敷が水に呑みこまれている光景を見ることがある。
1990年からは、さらなる対策として、河口から日野橋までの区間をスーパー堤防(高規格堤防)とする整備事業が進められている。
[編集] 利水と砂利採掘
戦国時代に豊臣秀吉の下で関東転封となった徳川家康は、多摩川下流の扇状地での水稲生産を拡大するため、1597年に用水奉行・小泉次大夫に命じて両岸の灌漑用水路の建設に着手し、1611年には二ヶ領用水(右岸)と六郷用水(左岸)が完成する。その後も、1604年頃より取水をはじめたと推定されている大丸用水(右岸)や、1654年より取水をはじめた玉川上水(左岸)などの用水路が相次いで整備され、それまで水利が芳しくなかった多摩川下流の低地・台地に豊富な農業用水をもたらし、米の生産量が増大、後に幕府が置かれる江戸の生活を支えた。
明治以降、建築物にコンクリートが使われるようになると、多摩川はその原材料のひとつである砂利の産地として注目された。多摩川の砂利はコンクリートに適しているとして需要はますます高まり、当初は主に船舶で搬送していたものの、大型建設が相次ぐ大需要地・東京に運ぶための鉄軌道敷設が各地で計画され、玉川電気鉄道、南武鉄道、京王電気軌道、多摩鉄道、東京砂利鉄道などが競って砂利輸送を行った。
しかし、過剰な砂利の採掘により河床が低くなり、農業用水の取水が出来なくなったり、潮位によっては塩分を多く含む河口の水が逆流し農業用水や水道原水に流入するといった被害が続出する環境問題に発展する。そこで1934年には「多摩川砂利採掘取締方法」による取締りが施行され、1936年 2月1日には二子橋より下流での砂利採掘が全面禁止されるに至った。
また、河床低下により取水が困難となった用水路への対策として上河原や宿河原などに取水堰が築かれ、東京都の水道取水地があった調布(現在の田園調布)には塩分の逆流を防ぐための堰が築かれた。堰により水道・農業用水の取水は容易になったが、すると今度は多摩川名産のアユの遡上を阻害することとなり、都市化が進む流域からの生活排水の垂れ流しによる水質汚染と相まって、多摩川での漁業および生態系は壊滅的な被害を受けることとなった。さらに、宿河原堰の構造上の問題により洪水時に堤防を破る被害(狛江水害)も発生するなど、新たな問題が顕在化する。
沿川の急激な都市化に伴う生活排水の流入、および支流の水源となっている多摩丘陵や武蔵野台地での宅地開発に伴う森林破壊による水源枯渇が相まって多摩川の水は著しく汚染し、水道原水として利用不能になる、農業用水路が埋められる、衛生状態が悪化するという事態に陥ったが、1980年代より整備が始まった沿川での下水道が普及するに伴い水質汚染は徐々に緩和し、また宿河原堰などへの魚道設置といった工夫と相まって、現在は再びアユが遡上しはじめ、白鷺やコアジサシなどの生活を支えるまでに回復してきている(#生態系を参照)。
現在では河川敷に親水施設などが設けられ近隣住民の憩いの場として利用されるとともに、急激な水質汚染とその急回復を経験した多摩川は、環境保全に向けた更なる努力の必要性を象徴する場として、多くの市民活動の舞台ともなっている。
[編集] 生態系
多摩川では古くから内水面漁業が営まれており、江戸時代には「多摩川鮎」が名産として幕府にも上納されていた。またアユやマルタウグイなどは中流域では掴み取りできるほど多かったとも伝えられている。多摩川の水底には砂利が多くコケが生育し、また伏流水が湧き上がる場所や浅瀬も多いことから産卵適地も多く、そのため左記の魚の生育に適した地形であると考えられている。
魚類のほか、その魚類を捕食する鳥類も多く生活していたとの記録がある。明治以前の文献には、多摩川流域にもトキ、コウノトリ、ツル類、ガンカモ、オオハクチョウなどが訪れていたとも記録されている。これらは河川のほか水田などを生活基盤としているものだが、他の地域がそうであったのと同様、狩猟や水田の減少などにより生活を維持できなくなっていったものと考えられる。
また昭和35年頃まではコアジサシの営巣地が中流域に 44ヶ所あったとの記録がある(多摩川の野鳥 p.123)が、後に壊滅する。ところが 2003年頃から再び繁殖に挑戦する番いが現れ始めた。コアジサシは水中に飛び込んで小魚類を捕らえる狩りの方法が特徴だが、その彼等を支えられるだけの魚類の生息ができるようになったことを示唆している。
中下流部では、かつてはオシドリやキジ、コハクチョウなども多く訪れていたが、今ではめっきり見られなくなった(キジについては旧多摩村の御鷹場があった昭和20年代に多数生息していたとの記録があり、一時期は人工繁殖により増加したとの記録もあるが、近年の特に中下流部ではあまり観察されなくなった)。 反面、都市部の環境にも適応したカルガモやメジロ、シジュウカラ、ハクセキレイなどが近年増加傾向にあり、カワセミも安定して観察される。また冬鳥ではユリカモメやオナガガモなども増加傾向にある。 流域の宅地化に伴い、庭木や公園樹木などの都市環境にも適応した種は逞しく生活し、逆に警戒心の強く森で採食するキジや、水田などの沼地を好むオシドリなどが姿を消したものと考えられる。また多摩川に限らずハクチョウ類の越冬地は北上傾向にあり、これには地球温暖化などの影響が指摘されている。
一方、かつてカモ類が見られることは希であったと言われるが(多摩川の野鳥 p.125)、昭和44年には鳥獣保護区に指定され(秋川合流点など一部は特別保護地区)、その保護施策が奏功し、以降カモ類は増加傾向にある。
過去の文献はいずれも、かつて多摩川は多様な生物が生息する豊かな環境であり、さらに江戸時代初期からは周囲に水田が展開することにより形成された里山的環境に適合する生物が多く生息するようになり、その状況が昭和初期まで続いていたことを示唆している。
しかし、高度成長期に入ると流域の都市化が急速に進み、流域人口が急激に増加するも、それに見合った汚水処理等の対策が為されないまま排水が垂れ流されたこと、また周辺地域の水田や森林が都市へと変貌したことなどを受け、生息できる生物が激減、一時はほぼ壊滅するという危機的状況にまで陥った。汚染が著しく進んだ1980年代以降になると流域の都市部で下水道整備が進められるようになり、左岸東京都下流部では90年代、中流部では80年代、右岸川崎市北部では90年代、源流部の丹波山・小菅村では90年代に、ほぼ整備が完了した。これを受けて排水の流入が抑制され、水質が回復することによってアユなどの魚類が戻りつつあり、また鳥獣保護区指定や水源林保全などの施策により鳥類の生息も回復しつつある。
[編集] 魚類・水棲小動物
[3] [4] 一部地域では漁業が営まれており、アユ、ヤマメ、コイ、ニジマス、フナ、ウグイ、イワナなどが水揚げされているため、相応に生息しているものと考えられている。また近年になると堰に魚道が設けられるといった施策がされ、それに伴ってアユの遡上数が急増している。
この他、ドジョウなどの魚類、モクズガニやサワガニなどの甲殻類、他にも様々な小動物の生息が観察される。
[編集] 鳥類
トビ、チョウゲンボウ、ハヤブサ、ハシボソガラス、ヤマセミ、キセキレイ、ホオジロ、 カワウ、コサギ、ゴイサギ、アオサギ、カルガモ、ハシブトガラス、カイツブリ、オナガ、バン、キジバト、ヒヨドリ、コチドリ、イカルチドリ、シロチドリ、イソシギ、カワセミ、ムクドリ、コゲラ、ヒバリ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、カワラヒワ、ウグイス、シジュウカラ、メジロ、スズメなどが観察される。
ノスリ、サシバ、コジュケイ、クイナ、アオジ、アトリ、シメ、ルリビタキ、 ダイサギ、マガモ、コガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、キンクロハジロ、スズガモ、タシギ、ジョウビタキ、ツグミ、 ユリカモメ、ウミネコなどが観察される。
ヨシゴイ、ササゴイ、アマサギ、チュウダイサギ、チュウサギ、ツバメ、イワツバメ、オオヨシキリ、コアジサシなどが観察される。
[編集] 河川敷
河川敷のうち運動場などに利用されていない草むらには雑草類が生い茂り、バッタなどの昆虫やそれを捕食する鳥類が生息する。
堤防部分では、強度維持のために定期的に草刈りが行われているが、そのため日当たりのよい荒野に生育する各種雑草類やヤブカンゾウ・ノカンゾウ、ヒガンバナなどが観察される。
[編集] 支流と分流
- ウタノ沢
- シラベ沢
- 黒エンジュ沢
- ムササビ沢
- 与平沢
- ヤブ沢
- 中島川
- 柳沢川
- 小室川
- マリコ川
- 後山川
- 小袖川
- 小菅川
- 峰谷川
- サイグチ沢
- 落沢
- 水根沢
- 栃寄沢
- 小中沢
- 大沢
- 日原沢
- 海沢川
- 西川
- 寸庭川
- 入川谷
- 大丹波川
- 大沢川
- 平溝川
- 石神川
- 吉野川
- 町屋川
- 馬引川
- 清見川
- 鳶巣川
- 大荷田川
- 平井川
- 秋川
- 北秋川
- 南秋川
- 谷地川
- 残堀川
- 根川
- 浅川
- 北浅川
- 南浅川
- 程久保川
- 大栗川
- 乞田川
- 大田川
- 谷戸川
- 三沢川
- 平瀬川
- 野川
- 谷沢川
- 丸子川
- 海老取川
[編集] 多摩川を利用した用水路
[編集] 湖
[編集] 主な橋
- 親川橋
- 境橋
- 檜村橋(国道411号、青梅街道)
- 琴浦橋(国道411号、青梅街道)
- 弁天橋(国道411号、青梅街道)
- 万世橋(東京都道45号奥多摩青梅線)
- 奥多摩大橋(東京都道202号上成木川井線)
- 御岳橋
- 軍畑大橋(埼玉県道・東京都道193号下畑軍畑線)
- 奥多摩橋(東京都道200号柚木二俣尾線)
- 神代橋(東京都道199号梅郷日向和田線)
- 和田橋(東京都道238号大久野青梅線)
- 万年橋(国道411号)
- 柳淵橋
- 鮎美橋
- 調布橋
- 下奥多摩橋(東京都道45号奥多摩青梅線、下奥多摩橋通)
- 友田水管橋
- 多摩川橋(国道468号、首都圏中央連絡自動車道)
- 多摩川橋(東京都道249号福生羽村線、吉野街道)
- 管理橋
- 羽村堰下橋
- 羽村大橋(東京都道250号あきる野羽村線)
- 永田橋(東京都道165号伊奈福生線)
- 多摩橋(東京都道7号杉並あきる野線、五日市街道)
- JR五日市線多摩川橋梁(五日市線)
- 睦橋(東京都道7号杉並あきる野線、睦橋通)
- 拝島水道橋(多摩川横断水道橋)
- 拝島橋(国道16号、東京環状)
- 八高線多摩川橋梁(八高線)
- 多摩大橋(東京都道59号八王子武蔵村山線)
- JR中央本線多摩川橋梁(中央線)
- 立日橋(東京都道149号立川日野線/多摩都市モノレール)
- 日野橋(東京都道256号八王子国立線、甲州街道)
- 中央自動車道多摩川橋(中央自動車道)
- 石田大橋(国道20号日野バイパス)
- 府中四谷橋(東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線バイパス)
- 京王多摩川橋梁(京王線)
- 新関戸橋・関戸橋(東京都道18号府中町田線、東京都道20号・神奈川県道525号府中相模原線、鎌倉街道)
- 武蔵野線多摩川橋(武蔵野貨物線)
- 南武線多摩川橋(南武線)
- 是政橋(神奈川県道・東京都道9号川崎府中線、府中街道)
- 稲城大橋(神奈川県道・東京都道9号川崎府中線)
- 多摩川原橋(東京都道・神奈川県道19号町田調布線、鶴川街道)
- 京王相模原線鉄道橋(京王相模原線)
- 多摩水道橋(東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線、世田谷通、津久井道)
- 小田急線多摩川橋梁(小田急線)
- 東名高速道路多摩川橋(東名高速道路)
- 新二子橋(国道246号、厚木街道・大山街道)
- 二子橋(玉川通り・旧大山街道)
- 田園都市線多摩川鉄橋(東急田園都市線)
- 新多摩川大橋(国道466号、第三京浜道路)
- 東横線多摩川鉄橋(東急東横線・東急目黒線)
- 丸子橋(東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線、中原街道)
- 新幹線橋梁(東海道新幹線)
- 横須賀線多摩川橋梁(品鶴線 - 横須賀線・湘南新宿ライン)
- ガス橋(ガス橋通り)
- 多摩川大橋(国道1号)
- 多摩川専用橋
- 京浜東北線多摩川橋(京浜東北線)
- 東海道本線六郷川橋梁(東海道本線)
- 京浜急行多摩川鉄橋(京急本線)
- 六郷橋(国道15号)
- 大師橋(東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線)
- 高速大師橋(首都高速道路神奈川1号横羽線)
[編集] 渡船
- (下流)
- 羽田の渡し(六左衛門の渡し) - 昭和14年廃止
- 大師の渡し - 昭和14年廃止(大師橋架橋)
- 六郷の渡し - 明治 6年廃止(六郷橋架橋)
- 小向の渡し - 廃止年不詳
- 矢口の渡し - 昭和24年廃止(多摩川大橋架橋)
- 平間の渡し - 昭和 6年廃止(ガス橋架橋)
- 丸子の渡し - 昭和10年廃止(丸子橋架橋)
- 宮内の渡し - 昭和10年廃止
- 下野毛の渡し - 廃止年不詳
- 二子の渡し - 大正14年廃止(二子橋架橋)
- 宇奈根の渡し - 明治〜大正期に廃止
- 登戸の渡し - 廃止年不詳(多摩水道橋架橋)
- 中ノ島の渡し - 廃止年不詳
- 下菅の渡し(上府田の渡し) - 昭和10年廃止
- 菅の渡し - 昭和48年廃止
- 上菅の渡し(矢野口の渡し) - 昭和10年廃止(多摩川原橋架橋)
- 押立の渡し - 昭和17年廃止
- 常久河原の渡し - 廃止年不詳
- 是政の渡し - 昭和16年廃止(是政橋架橋)
- 関戸の渡し - 昭和12年廃止(関戸橋架橋)
- 一の宮の渡し - 昭和10年以降廃止
- 石田の渡し - 慶安年間に廃止
- 万願寺の渡し - 大正15年廃止
- 日野の渡し - 大正15年廃止(日野橋架橋)
- 柴崎の渡し - 江戸時代以前に廃止(立日橋架橋)
- 福島の渡し(築地の渡し) - 昭和15年廃止
- 大神の渡し(平の渡し) - 廃止年不詳
- 拝島の渡し - 昭和24年廃止(拝島橋架橋)
- 滝の渡し - 廃止年不詳
- 熊川の渡し - 明治年間に廃止
- 牛浜の渡し - 廃止年不詳
- 福生の渡し - 昭和36年廃止
- 友田の渡し - 大正 9年廃止
- 河辺の渡し - 昭和 8年廃止
- 千ヶ瀬の渡し - 大正10年廃止
- 大柳の渡し - 明治30年廃止
- (上流)
なお、現在は東急ゴルフ場(高津区下野毛)内でゴルフ場利用者向けに渡船が運行されている(クラブハウスが東京都側にあるため)ほか、地域おこしのために渡船を復活させようという取り組みが一部地域で検討されている。
[編集] 参考文献
- ^ 水辺を歩こう多摩川、国土交通省京浜工事事務所(現・京浜河川事務所)、2002年。
- ^ 多摩川の野鳥、津戸英守、講談社、昭和59年、ISBN 4-06-201027-5。
- ^ 水辺を歩こう多摩川 p.224-。
- ^ 水辺を歩こう多摩川 p.164、関東農政局「平成10年 内水面漁業統計調査」より。
- ^ 多摩川の野鳥 p.200-「多摩川産鳥類目録 昭和14年から昭和58年まで」。
- ^ 水辺を歩こう多摩川 p.172「多摩川の渡し跡」。
[編集] 関連項目
- 東京都大田区多摩川 - 大田区南部にある多摩川流域の地名。