二笑亭
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二笑亭(にしょうてい)は、東京深川の地主渡辺金蔵(1877年?~1942年6月20日)が自ら設計し大工を指揮して建築させた個人住宅(渡辺邸)である。着工は1927年12月頃とされる。8年以上工事を続けたがついに竣工しないまま1936年4月24日に渡辺が「電話返却事件」(後述)をきっかけに加命堂脳病院に入院させられたため工事は中断、2年後の1938年6月20日に取り壊された。奇しくも4年後に渡辺が没する日と同じ日である。
[編集] 二笑亭の特色
この建物は、
1.正面二階の位置に配されたはめ殺しの大きなガラス窓三枚。
2.入り口に置かれた鉄製の半円形の雨よけ。
3.裏門に出入りの邪魔になるように置かれた菱形の枠。
4.鉄棒をずらりと立てて作られた塀。
5.ガラス入りの節穴窓を空けた室内の壁。
6.和式洋式の風呂を隣に並べた和洋合体風呂。
7.屋根をこえてただ単に空に伸びたはしご。
8.傾いた違い棚。
9.土蔵の中の床から天井に伸びる昇れないはしご。
10.奥行きが異常に浅く使いようのない押入。
などの数々の奇妙な特色を持ち、その様子は取り壊される前に式場隆三郎「二笑亭綺譚」(二笑亭に関するほぼ唯一の資料)にまとめられた。また、自らも建築道楽家である水木しげるは、「東西奇ッ怪紳士録」の中で「二笑亭主人」と題してこの建築を扱っている。 二笑亭の建築は「超芸術トマソン」の先駆者といえる面もあり、「二笑亭綺譚」は現在に至るまで再三復刻されている。
[編集] 電話機返却事件
渡辺は1936年春、当時相当の資産価値を持っていた自宅の電話の無料返上を申し出た。当局はその理由の解釈に苦しんだが、結局申し出通りに電話を取り外し電話機を引き取った。このことがきっかけで別居していた家族は渡辺を入院させるのであるが、入院後に渡辺が語った理由は次の通りである。 「私は長いこと電話を所有してきたが、最近ではそれを使わない。しかも料金を納めねばならない。使用しないのに、料金を払うということは悪い。だから、電話を廃止することになった」
[編集] 参考図書
- 式場隆三郎他「定本 二笑亭綺譚」(ちくま文庫 ISBN 4480026681)
- 式場隆三郎、藤森照信、赤瀬川原平他「二笑亭綺譚 五十年目の再訪記」 (求龍堂 ISBN 4763089293)
- 荒俣宏「パラノイア創造史」(ちくま文庫 ISBN 4480025898)
- 水木しげる「東西奇ッ怪紳士録」