五稜郭
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亀田役所土塁(五稜郭タワーから) | |
通称 |
五稜郭 |
城郭構造 |
稜堡式 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
徳川幕府 |
築城年 |
1866年 |
主な改修者 |
なし |
主な城主 |
なし |
廃城年 |
1869年 |
遺構 |
土塁、石垣、堀 |
位置 |
五稜郭(ごりょうかく)は、江戸時代末期に現在の北海道函館市に建造された城郭。当時の正式名称は亀田役所土塁(柳野城とも)。国指定特別史跡。
目次 |
[編集] 概要
日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するために徳川幕府の征夷大将軍の命により築造された。設計を担当したのは、洋式軍学者の武田斐三郎。大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し、堡を星型に配置している。
[編集] 略歴
当初は外国の脅威に立ち向かうために築造が計画されたが、脅威が薄れていくとともに築造の目的が国家の威信になった。費用不足もあって、当初の計画は縮小され、半月堡も大手口に一か所しかつくられなかった。函館開港時に箱館奉行所がおかれた。
五稜郭は、戊辰戦争の最後の戦いの地として有名である。1868年(明治元年)10月26日、佐幕派の大鳥圭介隊と土方歳三隊の両隊が五稜郭を占拠、1869年1月蝦夷共和国樹立。1869年(明治2年)5月18日、新政府軍に敗北し明け渡される。
明治4年以降から、五稜郭内部の建物はほとんど取り壊され、材木などは開拓使官舎に使われた。その後は要塞兼練兵場として陸軍省の管轄下に置かれていたが、1914年(大正3年)に公園として一般に公開されると、1917年(大正6年)には、片上楽天が兵糧庫を利用して「懐旧館」を設立。箱館戦争に関する資料を展示していた。
1922年(大正11年)に国指定史跡となり、第二次世界大戦後の1952年(昭和27年)には特別史跡に指定された。1955年(昭和30年)に市立函館博物館五稜郭分館が開館、1964年(昭和39年)、入口付近に五稜郭タワーが建設された。現在は、サクラの名所としても知られる。また、毎年5月の土日に箱館五稜郭祭が開催される。
2005年11月20日に函館市中央図書館が五稜郭公園西側入口近くの渡島支庁旧庁舎跡地に開館、2006年4月1日には高さ107mの新しい五稜郭タワーが開館した。
[編集] 復元工事
函館市は2006年7月13日から箱館奉行所の復元工事に着手し、2010年度の完成を目指している。函館博物館五稜郭分館は2008年度に閉館し解体される。