交響的舞曲 (ラフマニノフ)
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《交響的舞曲》作品45は、1940年に完成されたセルゲイ・ラフマニノフ最後の作品。2台ピアノのための版と、管弦楽版の二つがあり、後者は1941年1月3日にユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によって初演された。このため、この両者に作品が献呈されている。元々は4手ピアノのための作品として作曲されたが、管弦楽版ではサクソフォンが独奏楽器として著しく活用されているため、むしろこちらがしばしば上演されている。精力的なリズミカルな部分と、作曲者特有の濃密で抒情的な旋律とが結び付いた作品に仕上がっている。
目次 |
[編集] 背景
《交響曲 第3番》の完成後に、当初は「幻想的舞曲集」として着想された。作品中では、グレゴリオ聖歌《怒りの日》の旋律主題と、自作の《交響曲 第1番》からの引用が際立っている。この交響曲は、それまで出版されたこともなければ、ほぼ半世紀にわたって上演されてもいなかったので、ラフマニノフの内輪の人間以外に、この参照関係に気付いた者がいたとは到底考えにくい。
本作は、死にとりつかれていた成熟期のラフマニノフの作例の一つとなっており、《死の島》《交響曲 第2番》《ヴォカリーズ》《パガニーニの主題による狂詩曲》と同じく、《怒りの日》の象徴的な動機を喚起している。しかしながら、本作の背後で死の世界を表現しようとしていたわけではない。
[編集] 楽章構成
以下のように3楽章からなり、開始楽章はソナタ形式によっている。4楽章制ではないものの、構成面から見る限り、グリーグの同名の作品とは異なり、実質的な交響曲と呼んでも差し支えない。ちなみにラフマニノフは冗談で「第1楽章は朝、第2楽章は昼、フィナーレは夜を表している」と言ったと伝えられているが、おそらく開始楽章の導入部に聞こえるリズムの反復が、鶏の鳴き声に似ていることと関連していよう。第2楽章はチャイコフスキーやアレンスキーの好んだワルツ楽章となっているが、華やかさよりも一抹の不安や哀愁が色濃く出ている。
- Non allegro
- Andante con moto (Tempo di valse)
- Lento assai - Allegro vivace - Lento assai. Come prima - Allegro vivace.
[編集] 振付け
バレエ音楽として作曲されたわけではないものの、「舞曲」という題名は、ダンスに用いうることを暗示している。アルヴァトーレ・アイエッロは、1991年にノースカロライナ州バレエ劇場のために、ピーター・マーティンズは1994年にニューヨークシティ・バレエ団のために、それぞれこの曲に振付けを行なった。