京成百貨店
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京成電鉄が作った、電鉄系の百貨店。 以前は上野・大森・市川(八幡)・土浦・水戸の5店舗を経営していたが、電鉄本体の経営危機などにより売却譲渡されてしまい、現在は水戸の1店舗だけが残っている。
なお、市川京成百貨店があった時は区別のため、市川京成百貨店、水戸京成百貨店と称することが多かった。
同店の包装紙は、長年千葉県市川市に在住していた画家・東山魁夷によってデザインされたものである。
その他、京成グループなどの企業向けに業務用資材の販売や外商も行っている。
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[編集] 店舗
[編集] 京成百貨店
ボンベルタ伊勢甚水戸店(ボンベルタ百貨店)跡地の泉町1丁目南地区再開発事業(2004年9月1日着工)として新築移転。地上10階地下2階、店舗面積34,000m²(旧店舗:15,000m²)の新店舗を2006年3月17日に開店。新築移転にともない広域的アピールを意図して、「水戸京成百貨店」より「京成百貨店」に名称変更した。経営は株式会社水戸京成百貨店が行っている。
[編集] かつて存在していた店舗
- 上野京成百貨店(東京都台東区)
- 京成百貨店の核的店舗。JR上野駅前に立地。建物は京成電鉄と他社の区分所有。1972年5月開店。高島屋と商品提携を行っていた。しかし、立地条件が今一つで、老舗上野松坂屋の牙城を崩すことは最後まで出来なかった。1984年(昭和59年)12月閉店。現在は、京成電鉄が賃貸を行う形で、丸井上野店(マルイシティ上野)として営業されている。
- 大森京成百貨店(東京都大田区)
- JR大森駅山王口に立地。1973年(昭和48年)11月開店。1981年(昭和56年)2月、イトーヨーカドーに売却。暫く「オーモリ京成」として営業した後、イトーヨーカドー大森店となるが閉店。現在は100円ショップ他が入居。
- 土浦京成百貨店(茨城県土浦市)
- 元々は霞百貨店として開業。1964年(昭和39年)9月、京成傘下に入り、のち京成霞百貨店から土浦京成百貨店に改称。1979年(昭和54年)5月、売却。「土浦京成百貨店」の名称のまま営業を継続するが、1989年(平成元年)閉店。現在、建物は解体され跡地は駐車場となっている。なお、茨城県を地盤に置くスーパーマーケットチェーン・カスミは旧・霞百貨店の関係者が設立したもの。
- 市川京成百貨店(千葉県市川市)
- 1963年(昭和38年)9月開業。京成八幡駅の駅ビルとして入居しており、1984年(昭和59年)10月から株式会社京成ストアが経営を行っていた。1階のリブレ京成(八幡駅前店)食料品売場を中心に、2~4階には多数のテナントが入居し、テナントビルの様相も呈していた。JR本八幡駅北口再開発事業に伴い、2007年3月で2~4階は閉店となったが、1階部分の営業は当分の間継続される。
[編集] 沿革
[編集] 京成百貨店
- 1908年(明治41年)5月 志満津呉服店として茨城県常陸太田市に創業
- 1946年(昭和21年)10月 水戸市に水戸店を開店
- 1949年(昭和24年)7月 志満津百貨店に改称
- 1971年(昭和46年)5月 京成電鉄と資本提携、本店を水戸に移転し京成志満津百貨店に社名変更
- 1982年(昭和57年)3月24日 水戸京成百貨店設立
- 2006年(平成18年)3月17日 新築移転し、名称を京成百貨店に変更