京阪1700系電車
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京阪電気鉄道1700系電車(けいはんでんきてつどう1700けいでんしゃ)は、京阪電気鉄道に在籍した特急形車両(後に一般形車両となる)である。
第1陣は1951年4月2日に落成。前年1950年より運転開始した「京阪特急」の初の本格的特急車として片開き扉や転換クロスシートを装備し、1000系に代わって特急を中心に運用される。京阪の特急車の基本を作り、京阪の歴史上初めて明確に「系列」という概念を持って製造された車両形式群でもある。
車内設備がほぼ同等であった東の特急用名車、東武鉄道5700系と同時期の就役である。
[編集] 特急時代
京阪本線では1950年に特急の運転が開始されたが当初は朝夕のみの運転であった。しかし、好評であったことから日中にも運転時間を拡大することになり、そのための本格的特急専用車両として本系列が誕生した。
製造された形式は下記の2形式である。製造は川崎車輌(現・川崎重工業)とナニワ工機が担当した。
この2形式をペアとした2両編成9本が製造された。半鋼製の車体には京阪伝統の縦長の窓が並び、ドア間は転換クロスシート、車端部はロングシートであった。本形式のデザイン上の特徴として、正面部分で屋根の雨樋を下げるようなラインにしていたことがあげられる。このデザインはこのあと1800系および1810系まで受け継がれた。塗装はオレンジと赤のツートンカラーが採用され、これも8000系まで特急用車両の色として引き続いて使われている。また、本系列は京阪では初めて広幅貫通路(扉付き)を採用していた。これは戦中戦後の一時期合併していた京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)からの影響もあると考えられる。
主電動機は当時京阪線で最強の東洋電機製造製110kw(TDK-554-AM)を装備した。なお、純粋な新造車両としては京阪線で最後の吊り掛け駆動方式である。主制御器は東洋電機製造製(ES-554A)、空気制動は日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)製(AMA-R)である。
登場当時のヘッドマークは丸型であったが、1952年7月15日より鳩マークに変更。このマークは石清水八幡宮で神勅の使いとされる鳩にちなむといわれている。ヘッドマークは懸賞で公募され、応募作からの選考によりこのデザインが決定された。
1708・09・58・59は出場時に一時的に車体の形式表示を特殊な表記にしたことがある。たとえば、1709号だと「7-09」といった具合である。この試みは長続きせず、約1年後に通常の表記に戻されている。1953年8月に1800系が登場。この時より1800系との混結も見られるようになる。
当初台車は扶桑金属(現・住友金属工業)製FS-6、汽車製造製KS-3・5、中日本重工業(現・三菱重工業)製MD-7と、3つのメーカーから4つの形式を採用した。これには各社・各台車の比較検討を行う意図もあったとみられる。また1956年6月から、1759号車で鉄道用としては日本で最初の空気バネ台車(汽車製造製KS-50)の試験を行ったことが特筆される。この試験の結果、乗り心地に大きな改善が見られたことから、1810系以降空気バネの採用が本格化することになり、1759号に用いられた台車は1810系(1885号)に振り替えられた。これ以外にも試験をかねた台車の履き替えはかなりの頻度で実施され、「台車の京阪」と呼ばれるきっかけを作った。
[編集] 一般車への格下げ
1956年に1810系が登場し、これとも混結が行われたが、同車の増備で特急車両の運用に余裕ができたため、一般車に格下げされた。まず、1957年秋に1707~09Fが2扉のまま、ロングシート・一般色化された。つづいて、1706Fが特急色のままロングシート化されたが、のちに一般色になった。さらに、1703~05Fがロングシート化されたが、これらは特急色のままであった。
1701・02Fはその後も特急列車に充当されていたが、1963年の1900系登場とともに格下げされ、ともにロングシート化されたが、1701Fは特急色、1702Fは一般色であった。このころには1703~05Fも一般色になっていたが、特急列車組成両数の増加により、1700系が臨時特急列車用に復帰することになり、1702~09Fがふたたび特急色になった。さらに、運転台妻窓がアルミサッシ化され、淀屋橋地下線運転のため、側窓に保護棒が設置されている。なお、制動弁が電空併用タイプになっている。
1966年から3扉化されたが、側面窓の割付の関係から増設された中央扉は両開き扉となった。塗装は改造初期車が特急色のままであったが、やがて全車が一般色になった。また、この3扉化と同時に1706~09・1756~59各3両ずつが運転台を簡易撤去している。1700形の簡易撤去車は1780形に改番されたが、1750形は形式はそのままであった。
3扉化後は主に普通で使用されていたが、時には急行で充当されることもあった。また吊り掛け駆動の他系列車両を連結したりしたこともあったが、1970年代には1700系4連と1800系3連を連結した充当が固定化した。しかし、1981年に1800系が廃車されるとそれ以降は本系列単独で運用されるようになった。
1969年には京阪線系の架線電圧を1500Vに昇圧する事を決定。このため後年6000系で置き換えることとなり、同車は昇圧前日の1983年12月3日をもって全車が廃車された。なお同時に1700系の特急車時代の増結車でもあった1300系や共通運用でもあった600系(2代)も廃車された。
[編集] 関連項目
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