伊達義広
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊達 義広(だて よしひろ、文治元年(1185年) - 康元元年(1256年)又は建長3年(1251年))は、鎌倉時代の武将。蔵人大夫、従五位下。
伊達氏第3代当主。伊達宗村の次男。通称:粟野次郎、入道覚佛。 卒年は定かではなく、伊佐早文書では建長三年(1251年)、伊達系図では康元元年(1256年)となっている。
初代朝宗、二代宗村の頃まで居城は伊達郡桑折郷の高子岡に築かれていたが、義広の代になって桑折郷の栗野大館(梁川町)に居城を移したとされている。
伊達氏は伊達郡の地頭職に就いており、伊達氏は他にも出雲国・但馬国にも地頭職を持っていた。
これを継承したのが義広の兄である修理亮時綱で、出雲・但馬伊達氏の始祖となっている。
[編集] 関連項目
伊達氏宗家 |
歴代当主 |
---|
平安末期~戦国末期
伊達朝宗|伊達宗村|伊達義広|伊達政依|伊達宗綱|伊達基宗|伊達行宗|伊達宗遠|伊達政宗|伊達氏宗|伊達持宗|伊達成宗|伊達尚宗|伊達稙宗|伊達晴宗|伊達輝宗 |
陸奥仙台藩主(松平陸奥守家)
伊達政宗|伊達忠宗|伊達綱宗|伊達綱村|伊達吉村|伊達宗村|伊達重村|伊達斉村|伊達周宗|伊達斉宗|伊達斉義|伊達斉邦|伊達慶邦|伊達宗基 |
明治~現在
伊達邦宗|伊達興宗|伊達貞宗|伊達泰宗 |