伊那県
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伊那県(いなけん)とは、現在の長野県南部と愛知県東部のそれぞれ一部を版図とした県である。県庁は伊那郡の飯島(飯島陣屋)に置かれた。
1868年8月2日 (旧暦)に設置され、1871年12月31日に廃止された。廃止後は、旧信濃国部分は筑摩県(県庁:松本)に、旧三河国部分は額田県(県庁:岡崎)に編入された。
[編集] 沿革
- 1月3日 (旧暦) - 鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗退
- 2月17日 (旧暦) - 新政府は、尾張藩に、信濃国の幕府領を没収して支配するよう命令
- 3月7日 (旧暦) - 飯島陣屋は天皇に忠誠を尽くすという誓約書を提出し、幕府の代官役所だった飯島陣屋は廃止となる。
- 3月8日 (旧暦) - 尾張藩が、旧飯島陣屋を「尾張藩飯島取締役所」とする。
- 閏4月21日 (旧暦) - 新政府は、政府の政治組織を定めた「政体書」を発表し、地方行政機関として「府」「藩」「県」を設置
- 8月2日 (旧暦) - 北小路俊昌が知県事に任命され、伊那県ができる。
- 10月4日 (旧暦) - 尾張藩の直轄地となっていた旧幕府領のうち、伊那郡の36か村、15,300石が伊那県となる。
- 1869年(明治2年)
- 2月30日 (旧暦) - 尾張藩の管轄地となっていた伊那郡以外の信濃国の村々(旧幕府領)がすべて伊那県とされる。
- 4月~5月 - 尾張藩の管轄地となっていた村落が伊那県に引き渡され、塩尻、御影(小諸)、中之条(坂城)、中野の尾張藩取締役所が伊那県支局となる。
- 2月~6月 - 旗本が治めていた信濃国の村落と、松本藩が幕府から預かって治めていた伊那郡及び筑摩郡の村落が、伊那県に編入される。又、三河国のうち338村56864石が伊那県に編入される。
- 9月11日 (旧暦) - 三河国の足助に伊那県の支局を置く。
- 9月 - 千村氏、知久氏が幕府から預かって治めていた伊那郡の村落が伊那県に編入される。
- 1870年(明治3年)
- 9月17日 (旧暦) - 南北に長かった伊那県が二分され、北が中野県(154,472石)、南が伊那県(168,634石)となる。
- 1871年(明治4年)
- 8月29日 - 廃藩置県の詔が出される。藩は県となり、全国は3つの府と302の県となる。
- 9月 - 名古屋県となっていた木曽郡(13,000石)と旧高須藩(15,000石)が伊那県に編入される。
- 12月31日 - 伊那県が廃止され、旧信濃国部分は筑摩県(県庁:松本)に、旧三河国部分は額田県(県庁:岡崎)に統合された。
[編集] 歴代首長
- 伊那知県事
- 北大路俊昌 1868年8月2日~1870年5月27日(贋二分金問題、伊那県商社事件により失脚)
- 千種有任 1870年
- 伊那県兼中野県権知事
- 林友幸 1870年12月~1871年4月
- 伊那県大参事(知県事に次ぐ地位の役職)
- 山下郡介 1870年~1871年
- 永山盛輝 1870年~1871年
[編集] 関連項目
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