佐久間盛重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- 織田信秀・信長に仕えた武将。佐久間盛経の子。大学允。本項にて解説する。
- 佐久間盛通の長男。織田信秀に仕えたが1539年に没した。久六。→佐久間盛重 (久六)を参照。
- 実は佐久間盛郎の子で佐久間盛久の養子。九平。→佐久間盛重 (九平)を参照。
佐久間 盛重(さくま もりしげ、? - 永禄3年5月18日(1560年6月11日))は戦国時代の武将。大学允。織田信秀・信長に仕える。
1556年、信長が弟の信勝と対立し、家臣の多くが信勝方に走った時も、盛重は同族の佐久間信盛らとともに信長方に味方し、信長が信勝方の柴田勝家や林秀貞と合戦(稲生の戦い)を行った際は名塚砦を堅持した。その際、信勝方の橋本十蔵を討ち取っている。
1560年の桶狭間の戦いではその前哨戦において丸根砦を守備し、近隣の鷲津砦と連携して今川方の尾張侵攻の拠点である大高城を牽制する任を担ったが、大高城救援のため出陣した今川方の部将松平元康(後の徳川家康)勢の攻撃により丸根砦は陥落、盛重は戦死した。