御調郡
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御調郡(みつぎぐん)は、広島県にあった郡。人口24,043人、面積101.38km²。(2004年)
2005年3月27日の時点で以下の2町を含んでいた。
2005年3月22日に、久井町が(旧)三原市、豊田郡本郷町、賀茂郡大和町と合併し、三原市となった。そして同年3月28日、残る2町が尾道市に編入したため消滅した。
[編集] 御調郡に属していた町村(1889年の市町村制施行当時)
- 尾道町(おのみちまち)
- 三原町(みはらまち)
- 市村(いちむら)
- 今津野村(いまづのむら)
- 岩子島村(いわしじまむら)
- 宇津戸村(うづとむら)
- 大浜村(おおはまむら)
- 奥村(おくむら)
- 上川辺村(かみかわべむら)
- 河内村(かわちむら)
- 木ノ庄村(きのしょうむら)
- 久井村(くいむら)
- 栗原村(くりはらむら)
- 坂井原村(さかいばらむら)
- 重井村(しげいむら)
- 下川辺村(しもかわべむら)
- 菅野村(すがのむら)
- 田熊村(たくまむら)
- 立花村(たちばなむら)
- 中庄村(なかのしょうむら)
- 西野村(にしのむら)
- 土生村(はぶむら)
- 原田村(はらだむら)
- 羽和泉村(はわいずみむら)
- 深田村(ふかだむら)
- 三浦村(みうらむら)
- 貢村(みつぎむら)
- 三庄村(みつのしょうむら)
- 美ノ郷村(みのごうむら)
- 向島西村(むかいしまにしむら)
- 向島東村(むかいしまひがしむら)
- 諸田村(もろたむら)
- 八幡村(やはたむら)
- 山中村(やまなかむら)
- 吉和村(よしわむら)
(以上2町33村)
[編集] 沿革
- 1889年4月1日 市町村制施行。当時の町村数は2町33村。
- 1898年4月1日 尾道町が市制施行し、尾道市になる(1町33村)。
- 1912年2月11日 貢村が村名改称の上町制施行し、糸崎町になる(2町32村)。
- 1918年1月1日 土生村が町制施行し、土生町になる(3町31村)。
- 1921年6月1日 三庄村が町制施行し、三庄町になる(4町30村)。
- 1923年3月1日 栗原村が町制施行し、栗原町になる(5町29村)。
- 1936年11月15日 糸崎・三原両町及び西野・山中両村、更に豊田郡須波・田野浦両村が対等合併して市制施行し、三原市(初代)になる(3町27村)。
- 1937年4月1日 栗原町及び吉和村が尾道市に編入される(2町26村)。
- 1948年5月3日 三浦村が三庄町(椋浦)と中庄村(鏡浦・外浦)に分割され、消滅する(2町25村)。
- 1949年4月1日 田熊村が町制施行し、田熊町になる(3町24村)。
- 1949年4月1日 下川辺村が芦品郡に編入される(3町23村)。
- 1950年4月1日 市村が木ノ庄村江田及び国守を編入する(3町23村)。
- 1950年10月1日 向島西村が村名改称の上町制施行し、向島町になる(4町22村)。
- 1951年4月1日 深田村が尾道市(久山田)と三原市(深)に分割され、消滅する(4町21村)。
- 1951年4月1日 坂井原村が豊田郡高坂村のうち小林・土取・山中野を編入する(4町21村)。
- 1953年3月22日 八幡村と豊田郡長谷村が三原市に編入される(4町20村)。
- 1953年5月1日 田熊・土生・三庄各町及び大浜・重井・中庄各村、更に豊田郡東生口村が対等合併して市制施行し、因島市になる(1町17村)。
- 1954年3月31日 岩子島村が向島町に編入される(1町16村)。
- 1954年3月31日 久井・坂井原・羽和泉各村が対等合併して町制施行し、久井町になる(2町13村)。
- 1954年3月31日 木ノ庄・原田・美ノ郷各村が尾道市に編入される(2町10村)。
- 1954年4月1日 向島東村が村名変更の上町制施行し、向東町になる(3町9村)。
- 1955年2月1日 市・今津野・奥・上川辺・河内・菅野各村及び諸田村のうち大山田・下山田・千堂が対等合併して町制施行し、御調町になる(4町3村)。
- 1955年2月11日 宇津戸村と世羅郡甲山町(初代)及び東・三川両村が対等合併し、甲山町(2代、現:世羅町)になる(4町2村)。
- 1955年4月1日 立花村が向島町に編入される(4町1村)。
- 1956年9月30日 諸田村と御調町三郎丸の一部が府中市に編入される(4町)。
- 1970年4月1日 向東町が尾道市に編入される(3町)。
- 2005年3月22日 三原市(初代)と久井町、賀茂郡大和町、豊田郡本郷町が対等合併し、三原市(2代)が成立する(2町)。
- 2005年3月28日 御調・向島両町が尾道市に編入される。これにより御調郡消滅。