児玉党
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児玉党(こだまとう)とは、平安時代後期から鎌倉時代にかけて武蔵国で割拠した武士団の一つである。主に武蔵国最北端域全域を中心に入西・秩父・上野国辺りまで拠点を置いていた。武蔵七党の一つとして数えられる児玉党は諸々の武士団の中では最大勢力の集団を形成していた。本宗家の家紋(紋章)は、軍配団扇紋であるが、随身・随兵して行くことで諸氏による派生紋・続葉紋が生まれた。その後、時代の流れと共に各地へ散らばってゆく。児玉党をはじめとする武蔵七党の各武士団・諸氏族は蒙古襲来に備えるため(鎌倉)幕府の命により西方遠くは、安芸国・九州(最西は、小代氏の肥後国・野原荘)まで及びその防備につくため下向し土着してゆく。
「七党」と言う数の呼称ついて諸説あるが、当時有力な武士団が多数形成されていたことを現している。
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[編集] 児玉党の諸氏
[編集] 史跡
- 「有氏神社」は、始祖を祀っている。
[編集] 参考文献
- 「兒玉黨」笹川 種郎著
- 「特別展武蔵武士」 埼玉県立博物館 著
- 「武蔵武士」渡辺世祐・八代国治 共著
- 「埼玉県の歴史」田代脩・塩野博・重田正夫・森田武 共著 ISBN 4634321106
- 「武蔵武士」福島正義 ISBN 4878910402
- 「武蔵の武士団」 安田 元久著 有隣新書 ISBN 4896600673
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