八幡の藪知らず
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八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)は、
- 千葉県市川市八幡の千葉街道(国道14号線)沿いにある樹木の生い茂った禁足地(入ってはならない場所)である。江戸時代から当地に伝わっていて、現在では全国的に知られているスポットでもある。由来は諸説あるが、奥行き・幅共に18mほどの当地に足を踏み入れるとに二度と出てこられなくなるという話では一致しており、現在においても周りが柵で覆われており、人が入れないようになっている(本項で解説)。
- 現地には社が設えられており、その入口には「八幡不知森(やわたしらずのもり)」と記された石碑(社と共に近年になって新しく造られたもの)がある。正式な呼び名としては「不知森」が適当なようである。
- 上記の八幡の藪の事象が有名になったことによって、『入ったら出られない藪や迷路』の総称となり、それが更に転じて『道に迷うこと』の例えとしても使用される(「広辞苑」や「言泉」などの大手辞書にも掲載)。
[編集] 由来
このような伝説がいつの時代から語り継がれてきたのかに関しては諸説あるのだが、どの説も江戸時代から伝えられたとされている。しかし、それ以前から存在するか否かは定かではない。本八幡駅から徒歩5分程度離れた市川市役所の目の前にあり、普段から人通りが多い場所な上、藪の広さ自体も18m×18mほどであるので、決して方向感覚を失い迷ってしまうというほどの広さとは言えない。昭和の末期の頃までは樹齢を経た木々が鬱蒼と茂っていたが、最近は竹に侵食され大木は僅かに残るのみである。またこの土地は中央部が窪んでいるという特徴がある。ただ藪の広さは、昔はもっと広かったのではないかという話もあるが、江戸時代の文献には、既に現在と同程度の広さの藪であったことが記されている。とは言え、現在でも立ち入る事は絶対にタブーであり、近隣の人たちはこの地に対して畏敬の念を抱いている。
以下、有名な説を挙げる。
- 当地で平将門の首を守りつづけ、そのまま泥人形になったといわれている。
これらの偉人に関する説は、いずれも該当する人物の祟りなどのために立ち入り禁止になったといわれている。ただし、墓所・陣屋跡の場所には異説も多く、八幡の藪知らずが該当するかは不明。
- 葛飾八幡宮の跡地説
- 至近にある葛飾八幡宮の旧地もしくは死んだ動物を供養するために存在した八幡宮の池があったのではないかという説。池の場合、動物を供養する場なので、周囲の人々から「むやみに池に入ってはいけない」と言われていたものが、この行事が廃れて「入ってはならない」という話だけ今に残っているという仮説がある。
- 近隣の行徳村の飛び地(入会地)説
- 八幡の住民人は、当地に入れないためにこのような伝説が出来たという説。
- 水戸黄門が迷って出てこられなかった説
- 水戸黄門こと徳川光圀が当地に立ち入った事は有名だが、それ以前からここは禁足地であった可能性は高い。
- 藪の中央部の窪地から毒ガスが出でいるという説
- 中央部が窪んでいることにも関連しているが、科学的な根拠に乏しい。事実であるなら、藪の周辺すら人が通ることは危険なはず。
- 藪に底なし沼があるという説
- これも、中央部が窪地になっていることに由来する。
この他、昔の豪族・貴人の墓所という説がある。 いずれにせよ一貫した根拠があるわけではない。
[編集] アクセスなど
尚、如何なる考えであっても、地元の人とのトラブルを含めた、あらゆるトラブル防止のため、当地への立ち入りは絶対に慎んでください。不法侵入の罪に問われる可能性があります。