前田知好
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前田 知好(まえだ ともよし、天正18年(1590年) - 寛永5年(1628年))は江戸時代の武将、前田利家の三男。母は利家側室の金晴院。初名は利包。その後、知好と改名。
慶長2年(1597年)に出家し、石動山合戦後天平寺に入り、伽那院と号して別当職となり、同9年(1604年)還俗。翌年伯父の前田安勝の子前田利好が没すると、無嗣のため名跡を継いで、七尾城主となった。元和2年(1616年)剃髪し、寛永5年(1628年)死去。享年39。
[編集] 参考文献
- 別冊歴史読本95 前田一族、(2002年、新人物往来社) ISBN 4-404-02795-8