割れ窓理論
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割れ窓理論(われまどりろん、Broken Windows Theory)は、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカで考案された。「建物の窓が壊れているのを放置すれば他の窓もまもなく全て壊されるだろう」との考え方からこの名がある。「ブロークン・ウィンドウ理論」、「破れ窓理論」、「壊れ窓理論」ともいう。
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[編集] 概要
割れ窓理論は以下のように主張している。
治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。
- 一見無害な秩序違反行為が野放しにされると、それが「誰も秩序維持に関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
- 軽犯罪が起きるようになる。
- 住民の「体感治安」が低下して、秩序維持に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
- 凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。
よって、治安を回復させるには、
- 一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる。
- 警察職員による徒歩パトロールを強化する。
- 地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する。
などを行えばよい。
[編集] 沿革
心理学者フィリップ・ジンバルドは1969年、人が匿名状態にある時の行動特性を実験により検証した。その結論は、
- 「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、「没個性化」が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、又、周囲の人の行動に感染しやすくなる。」
というものであった。
1972年、アメリカ警察財団は犯罪抑止のための大規模な実験を行った。その中の1つに、警察職員の徒歩パトロールを強化する実験があった。これには犯罪発生率を低下させる効果はなかったものの、一方で住民の「体感治安」が向上した。犯罪学者ジョージ・ケリングはこの結果とジンバルドの理論を踏まえ、割れ窓理論を考案した。
[編集] 適用例
[編集] ニューヨークの例
ニューヨーク市は1980年代からアメリカ有数の犯罪多発都市となっていたが、1994年に検事出身のルドルフ・ジュリアーニが治安回復を公約に市長に当選して以来、ケリングを顧問としてこの理論を応用しての治安対策に乗り出した。
彼の政策は「ゼロ・トレランス(不寛容)」政策と名付けられている。具体的には、警察に予算を重点配分し、警察職員を5,000人増員して街頭パトロールを強化した他、
- 落書き、未成年者の喫煙、無賃乗車、万引き、花火、爆竹、騒音、違法駐車など軽犯罪の徹底的な取り締まり
- ジェイウォーク(歩行者の交通違反)やタクシーの交通違反、飲酒運転の厳罰化
- 路上屋台、ポルノショップの締め出し
- ホームレスを路上から排除し、保護施設に収容して労働を強制する
などの施策を行った。
その結果、就任から5年間で犯罪の認知件数は殺人が67.5%、強盗が54.2%、婦女暴行が27.4%減少し、治安が回復した。また、中心街も活気を取り戻し、住民や観光客が戻ってきた。需要の増加を反映して、中心街の家賃は45%も上昇したという。
[編集] 日本の例
日本では、2001年に札幌中央署(北海道警察札幌方面中央警察署)が割れ窓理論を採用し割れ窓を違反駐車に置き換えて、すすきの環境浄化総合対策として犯罪対策を行った。具体的には北海道内最大の歓楽街のすすきので駐車違反を徹底的に取り締まる事で路上駐車が対策前に比べて3分の1以下に減少、併せて地域ボランティアとの協力による街頭パトロールなどの強化により2年間で犯罪を15%減少させる事が出来た。これを受けて各地の警察署からヒアリングなどが活発化している。
警察庁は平成14年度版『警察白書』において、
- 「犯罪に強い社会を構築するためには、これまで取締りの対象外であった秩序違反行為を規制することにより犯罪の増勢に歯止めを掛けることも重要な対策の一つであると認められる。」
と述べており、今後は割れ窓理論に基づいた犯罪対策の採用が進むと予想される。さらに、同様の理論を用いて空き缶のポイ捨て防止、落書きの防止などの環境美化キャンペーンが日本各地で始まっている。
[編集] 評価
[編集] 批判
まず、理論そのものについては次のような批判がある。
- 前提となる「体感治安」について検証出来ない。論文では検証できるような数字は挙げられておらず、ただ漠然としたイメージの叙述があるだけである。
- 統計を見る限り、秩序違反の状況と実際の犯罪増加のあいだには直接の因果関係は不明確と思われる。
ニューヨーク市の政策については以下のような批判がなされている。
- 警察職員による社会的弱者(特にマイノリティ)への粗暴な言動(Police Brutality)が増えた。この理論には秩序維持のためには多少法を逸脱しても構わないとする面があり、警察職員の行動を抑制できなくなったからである。実際、ハイチ系移民が警察署内でリンチを受けた事件、西アフリカ系移民が私服警察職員4人に職務質問を受けポケットに手を入れたところ41発もの発砲を受け死亡したという事件などが起きている。
- 自由の象徴だったニューヨークが安全を得た代償として自由を犠牲にした規制社会になってしまった。
- そもそも治安が改善したのは別の要因によるものではないのか。この政策が導入されるのと前後して、少子化による若年人口の減少と好景気が進行している。警察官の増員(ジュリアーニの前任者も任期間際に警官の増員を行っている)が行われれば犯罪は減少するのは一般的な現象であり、理論の適用とは関係ないとの指摘もある。
- ゼロトレランスは割れ窓理論とは似て非なるもの。犯罪は更に潜行している。外面だけ保ったに過ぎない。
札幌市の政策については以下のような批判がなされている。
- 客足が遠のき、すすきの界隈の商店、飲食店が閉店を余儀なくされ、シャッターだらけの廃墟のようなビルが増えた。
- 治安促進を推進していた商店街組合の会員の閉店・撤退により商店街組合の経営が悪化し、解散する商店街組合も出てきた。
- すすきの界隈では犯罪は減ったが、他の地域の犯罪が増え、市全体の犯罪は逆に増加した。
こうした弊害を少なくするために、警察機関の介入を一定の手段・地域に限定するという代案も提案されている。
[編集] 参考資料
- ジェームス・ウィルソン、ジョージ・ケリング「割れた窓ガラス ―警察と近隣の安全―」日本ガーディアンエンジェルス訳、小宮信夫監修
- James Q. Wilson and George L. Kelling, "Broken Windows: The police and neighborhood safety", The Atlantic Monthly; March 1982; Broken Windows; Volume 249, No. 3; pages 29-38.
- Zimbardo, Phillip. G. "The human choice: Individuation, reason, and order versus deindividuation, impulse, and chaos". In W. J. Arnold & D. Levine (Eds.), 1969 Nebraska Symposium on Motivation (pp. 237-307). Lincoln, NE: University of Nebraska Press.
- ジョージ・ケリング、C. M. コールズ『割れ窓理論による犯罪防止―コミュニティの安全をどう確保するか』小宮信夫監訳、2004年、ISBN 483011021X (後書きの抜粋が Web 上に掲載)
- 警察庁編『警察白書』
- 「http://www.pdc.npa.go.jp/hakusyo/h15/html/E2102020.html 」『警察白書』平成15年度版、第2章第2節
- 「http://www.pdc.npa.go.jp/hakusyo/h14/h140103.html 」『警察白書』平成14年度版、第1章第3節
- 財団法人自治体国際化協会ニューヨーク事務所「米国における警察行政」
- スディール・アラディ・ヴェンカテシュ「逆転したアメリカ都市部の居住分離」青木泉訳『ル・モンド・ディプロマティーク』2003年11月号
- 日本テレビ「ニューヨークで行われた驚異の犯罪撲滅プロジェクトを追え!」『特命リサーチ200X』2003年2月16日放送
- 全国防犯協会連合会 「「割れ窓理論」(ブロークン・ウインドウズ)とは?」
- 寺中誠「無犯罪都市の試み ~環境犯罪学の検討~」1995年11月8日
- 「黒人に対する警察暴力 ~NY移民社会に潜む事情~」『ミュージックマガジン』2000年5月号