原爆慰霊碑破損事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原爆慰霊碑破損事件(げんばくいれいひはそんじけん)は、2005年(平成17年)7月26日に発生した、広島県広島市の広島平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑の破損事件である。
目次 |
[編集] 事件の概略
被爆60周年を直前に控えた7月26日午後10時55分ごろ、原爆慰霊碑の中央に安置された碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」のうち、「過ちは」の部分だけが削るかのように十数カ所にわたり、ハンマーと鑿で傷つけられた。8月6日の広島平和記念式典のために破損箇所は粘土などにより応急処置されたが、完全に復元することは不可能であり、新たな碑文を製作することになった。2005年12月には交換され制作費(被害額)は約182万円であった。
[編集] 動機
監視カメラの映像から犯人として市内の右翼団体「誠臣塾」の構成員(当時27歳)が逮捕・起訴された。動機として「『過ちは…』の主語に日本人が含まれるのはおかしい。悪いのは原爆を投下した米国だ」などと供述しており、いわゆる自由主義史観的な発言に近いといえるものであった。この主張は所属していた団体もしており、むしろ構成員の行為を正当なものであるとの見解を示していた。そのため、広島県警は最終的に立件はしなかったが、団体の事務所を家宅捜索した。
[編集] 碑文の主語論争
碑文は自身が被爆者であった雑賀忠義広島大学教授(当時)が作成したもので、慰霊碑が建立された当時の広島市長・浜井信三が述べた「この碑の前にぬかずく一人一人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ一つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」を表現したものといわれている。
この碑文の主語について、以前にも論争になっており、 極東軍事裁判の判事のひとりであった、ラダ・ビノード・パールが1952年に広島を訪問した際に「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と発言した。このことがきっかけとして「誰」が過ちを繰り返さないといっているのか。「繰返しませぬから」か「繰り返させませぬ」といった碑文諭争が行われていた。
1970年には、「碑文は犠牲者の霊を冒涜している」として「碑文を正す会」なる市民グループによって碑文の抹消・改正を要求する運動があった。また、この運動を軍国主義的・民族主義的主張であると反発する市民グループが「碑文を守る会」を結成し、激しい論戦が繰り広げられていた。
この運動に対して、当時の山田節男広島市長は「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を示した。この見解が出されて以降、碑文の意図するのは、「日本」「アメリカ」といった国の枠をこえ、全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものであると一般的には解釈されている。そのため、碑文の主語は自身すら滅亡させる力を得た「世界人類」であるという。
[編集] その後の経過
犯人は碑文を変えなければ慰霊碑の弁償に応じないとするなど、反省の様子もないとして、広島地検は自らの主義主張を通すために被爆地のシンボルを壊した動機を重視し、器物損壊罪では異例の起訴を行った(通常、器物損壊事件は、被害弁償の示談が成立するか、犯行が初犯かつ反省の態度を表明していたならば、起訴猶予処分になる場合が多いため)。
その後犯人に対し、2005年10月に広島地方裁判所が懲役2年8月の判決を宣告し、控訴しなかったため確定した。
[編集] 外部リンク
- 広島平和記念公園バーチャルフィールドワーク
- 原爆碑損壊事件「誠臣塾」の犯行声明文(GUN'S ROAD)
- 中国新聞社説2005年7月29日 「原爆慰霊碑損壊碑文を読み込む契機に」
[編集] 参考文献
- 中国新聞 2005年7月29日付け紙面ほか