名鉄八百津線
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八百津線(やおつせん)は、岐阜県可児市の明智駅から岐阜県加茂郡八百津町の八百津駅までを結んでいた、名古屋鉄道の鉄道路線。
名鉄広見線から分岐し、蘇水峡や丸山ダムなどの景勝地を控えた八百津町まで木曽川に沿って結んでいた。
1984年に広見線とともに富士重工のレールバスの試運転が行われたことで知られ、名鉄が閑散区間合理化のためこれを採用し同年八百津線がレールバス化された。2001年10月1日に全線廃止。同日に名鉄谷汲線、名鉄揖斐線黒野駅~本揖斐駅間、名鉄竹鼻線江吉良駅~大須駅間が廃止されている。
晩年の運行にはキハ30形を使用していたが、八百津線廃止後は三河線の非電化区間へ移籍した。しかし、こちらも廃止になったことにより名鉄から非電化路線はなくなり、車両はミャンマーへ輸出された。
運賃計算区分はC(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)。
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[編集] 路線データ
- 路線距離(営業キロ):7.3km
- 軌間:1067mm
- 駅数:5駅(起終点駅を含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線非電化(廃止時、1984年9月まで全線直流1500V電化)
- 閉塞方式:スタフ閉塞式
[編集] 運行形態
廃止時点では全列車レールバスによる運行で、八百津線内折り返し運転されていた。ただし、給油基地が広見線新可児駅構内にあったため、昼間の1往復のみ新可児駅まで直通していた(このときは明智駅で列車交換を行い、明智始発折り返し御嵩行きにも連絡していた)。全て、普通列車のワンマン運転で、明智~八百津間で30分間隔で毎時2往復、11~12時台は60分間隔で毎時1往復運転されていた。ただし、廃線間際には、臨時数往復が増発されて、毎時2往復運転されていた。
単線であるが、列車の行き違いは行われていなかった(廃止時点では兼山駅などにあった交換設備はすべて廃止されている)。
1984年までは電化されており、犬山線との直通運転列車があった時期もある。電化時代、パノラマカーによる名古屋方面直通特急「蘇水湖号」が運転されており、廃止直前に常滑~八百津間でリバイバル「蘇水湖号」(常滑~新可児間はパノラマカーによる急行(犬山から普通)、新可児~明智(実際は御嵩行き)間は今は無き3400系、明智~八百津間はキハ30形レールバスが担当した)が運転された。
[編集] 歴史
- 1930年(昭和5年)4月30日 東美鉄道が伏見口(現・明智)~兼山間開業。
- 1930年(昭和5年)10月1日 兼山~八百津間開業。
- 1943年(昭和18年)3月1日 名古屋鉄道が東美鉄道を合併。新広見(現・新可児)~御嵩(現・御嵩口)間、伏見口~八百津間を東美線とする。
- 1944年(昭和19年) 伏見口~兼山口間の東伏見駅、兼山口~兼山間の城戸駅、中野~八百津間の伊岐津志駅休止。
- 1948年(昭和23年)5月16日 東美線の新広見~御嵩(現・御嵩口)間を広見線に編入。伏見口~八百津間を八百津線に改称。
- 1965年(昭和40年)3月21日 架線電圧を1500Vに昇圧。
- 1969年(昭和44年)4月5日 休止中の東伏見駅、城戸駅、伊岐津志駅廃止。
- 1982年(昭和57年)4月1日 伏見口駅を明智駅に改称。
- 1984年(昭和59年)9月23日 電気運転廃止。レールバス化。
- 1985年(昭和60年)3月14日 ワンマン運転開始。
- 2001年(平成13年)10月1日 明智~八百津間が廃止。翌日より東濃鉄道により代替バス運転開始。
[編集] 駅一覧
廃止時点では普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
明智駅 | 0.0 | 名古屋鉄道:広見線 | 岐阜県 | 可児市 |
兼山口駅 | 2.3 | 可児郡兼山町(現可児市) | ||
兼山駅 | 3.6 | |||
中野駅 | 5.4 | 加茂郡八百津町 | ||
八百津駅 | 7.3 |
※廃止時のもの。