和光寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和光寺(わこうじ)は大阪府大阪市西区にある浄土宗の仏教寺院。尼僧が住職をつとめる。山号は蓮池山。正式な寺号は智善院和光寺。あみだ池 和光寺。
摂津国八十八箇所第3番札所。
目次 |
[編集] 歴史
智善上人は信州・善光寺の本尊が出現した霊地として寺院を建立、蓮池山智善院和光寺と称した。1698年(元禄11年)堀江新地開発のとき、江戸幕府の命令で境内地を1800坪とし、また永代寺地と定めた。
智善上人は大和国大和郡山(奈良県大和郡山市)の柳沢家の出身で、信州・善光寺大本願第113世の光蓮社心誉智善上人であり、1727年(享保12年)7月21日に没した。
江戸時代には本堂・放光閣・観音堂・普門堂・愛染堂・薬師堂・抹香地蔵(まっこうじぞう)・閻魔堂・地蔵堂・金比羅権現(こんぴらごんげん)・金銅地蔵・鐘堂があったが、1945年(昭和20年)3月13日、太平洋戦争による空襲で本堂・諸堂などが焼失。
戦後になり、区画整理のため境内地が削られたが1947年(昭和22年)には仮本堂を建立。放光閣も再建された。1953年(昭和28年)には庫裡が完成、1961年(昭和36年)6月15日、本堂の落慶法要が営まれた。本堂は鉄筋コンクリート建て、一階は会合など集会に使用できるようになっている。
[編集] 阿弥陀池(あみだ池)
境内に阿弥陀池(あみだいけ)がある。この付近の地名、あみだ池の語源となっている。 池の中央には放光閣(ほうこうかく)という宝塔がある。
[編集] 信州・善光寺本尊
長野県の善光寺本尊である一光三尊の阿弥陀如来は欽明天皇13年、百済国より仏教伝来とともに伝わり、日本最古の仏像とされている。仏教伝来以降、崇仏・廃仏の論争が続く中、廃仏派の物部氏により難波の堀江に棄てられた。
[編集] 本田善光
信濃国国司・本田善光が難波の堀江に棄てられた阿弥陀如来を池より救った。このことからこの池が阿弥陀池といわれるようになった。後に池から救い出された阿弥陀如来は長野県飯田市に祀ったが、624年(皇極天皇元年)に現在の善光寺のある長野市元善町に移した。
[編集] 伏屋素狄顕彰碑
境内に伏屋素狄(ふくやそてき)の顕彰碑がある。1967年(昭和42年)11月に日本医師学会・日本生理学会が発起、日本医師会が賛助し、「実験生理の祖 伏屋素狄」の碑が建てられた。伏屋素狄の墓が失われたため、境内に顕彰碑が建てられた。
伏屋素狄は河内日置荘(大阪府堺市)に生まれ、14才のときに和泉池田村(大阪府和泉市)万町の旧家伏屋氏の分家に養子となった。漢方医学を学んで、大坂に移り開業したが、西洋医学を学び、生理学上の動物実験を何度も行い、「和蘭医話」を著した。腎臓に墨汁を注入した実験で、「腎は小便の漉(こ)し役」であることを発表したが、この業績は西洋の医学界より、かなり早い発見であった。1811年(文化8年)に没した。
[編集] 年中行事
[編集] アクセス
- 大阪市西区北堀江3丁目7-27