国際石油資本
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国際石油資本(こくさいせきゆしほん)、石油メジャーとは、資本力と政治力で石油の探鉱(採掘)、生産、輸送、精製、販売までの全段階を垂直統合で行い、シェアの大部分を寡占する石油系巨大企業複合体の総称。特に、第二次世界大戦後から1960年代まで、石油の生産をほぼ独占状態に置いた7社をセブン・シスターズ(セブン・メジャーズ)と呼んだ。資源ナショナリズムにより石油輸出国機構(OPEC)が主導権を握るまで、世界の石油のほぼ全てを支配していた。
セブン・シスターズのうち、イギリス資本系のBP(ブリティッシュ・ペトロレアム)とイギリスとオランダ資本系のロイヤル・ダッチ・シェルを除き、アメリカ資本である。また、エクソンやモービルなどは、ロックフェラーが創業し、1911年に分割されたスタンダード・オイルが母体である。
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[編集] セブン・シスターズ
- エクソン (Exxon)
- モービル (Mobil)
- 1999年にエクソンとモービルが合併し、エクソンモービルになった。
- ガルフ (gulf)
- テキサコ (Texaco)
- シェブロン (Chevron)
- 1984年にガルフを買収。2001年にテキサコを買収。
- BP(旧ブリティッシュ・ペトロリアム)
- ロイヤル・ダッチ・シェル (Royal Dutch Shell)
*合併や買収をしてもブランド名はそのまま使われる場合もある。
[編集] 歴史
1911年、史上初めて独占禁止法によりスタンダード・オイルが分割され、エクソン、モービル、シェブロンが誕生。
1928年、赤線協定を結ぶ。これは、セブン・シスターズ内で、現在のトルコとイラク領内の油田権益の独占と、単独開発の禁止をとりきめたカルテルである。その後、1930年代にはいるとアクナキャリ協定を結び、独占禁止法の強いアメリカと油田が国有化されたソビエト連邦以外の石油市場で各社の販売シェアを固定すると取り決めた。
その後、サウジアラビアやクウェート、リビアなどで大規模な油田が開発されるが、セブン・シスターズの独占状態は続いた。
第二次世界大戦後、石油の需要は急拡大する。少数の企業による石油需要の予測と生産割当てが功を奏し、1960年代末までは、ほぼ安定した価格で原油が取引された。これは、国際カルテルのきわめて少ない功績の一つにも数えられる。
1950年代、大規模な油田開発が続き、原油の供給過剰が慢性化してくる。するとメジャーは公定価格を段階的に引き下げた。これに産油国が不満を持ち、1960年にOPECが結成される。
1970年代に入ると、反アメリカ・反ヨーロッパの風潮が産油国に広まる。メジャー支配脱却を狙っていた産油国は、次々と石油開発への経営参加、国有化を推進した。1972年には、アルジェリアの油田がフランス資本から国有化された。リビアもBPの所有していた油田を国有化する。
1976年、サウジアラビアでの原油採掘を独占してきた、アラムコの大株主であった、エクソン、モービル、テキサコ、シェブロンの4社はサウジアラビア政府に株式を譲渡。ここに、セブン・シスターズによる石油支配は終わりを告げた。
[編集] 現在
オイルショックを契機として、石油価格の決定権がOPECなどの産油国に移り、影響力は一時は小さくなった。しかし、企業合併を進め合理化を推進し、7社は2006年現在は統合を繰り返し、エクソンモービル、シェブロン(2005年にシェブロン・テキサコから改称)、BP、ロイヤル・ダッチ・シェルの4社に統合された。一部の評論家は、この動きをスーパー・メジャーと呼び、再び石油マーケットを支配する恣意的な動きだと論じた。
しかし、合併による規模の拡大を推し進めたが、2000年現在、この大手4社の世界における原油生産シェアは10%程度である。これは、統合によりリストラを推し進め、生まれた利益を株式の自己償却などの株主還元や、天然ガスや燃料電池などの次世代エネルギー開発に投資し、リスクの高い新規油田開発への投資を削減したためである。
石油掘削の技術には一日の長を持つが、70年代まではセブン・シスターズを含めて20社程度しか手がけることが出来なかった石油の上流事業も、2000年を過ぎると200社以上が参入し、激しい競争に巻き込まれている。このため、大手4社は石油企業から総合エネルギー商社への転換を急いでいる。