土佐ノ海敏生
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土佐ノ海 敏生(とさのうみ としお 本名:山本 敏生(やまもと としお)1972年2月16日-)は、高知県安芸市出身で伊勢ノ海部屋所属の現役大相撲力士。得意は、突き、押し、左四つ、上手投げ。最高位は関脇。安芸中学校、高知高等学校、同志社大学商学部卒業。。身長186cm、体重160kg。
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[編集] 来歴
漁師の長男に生まれ、小学校の低学年の時は野球少年だったが、高学年より、相撲に転向する。野球部で球拾いばかりだった彼は、相撲のコーチから「大きい体をしているなぁ。相撲ならすぐに試合に出られるぞ。」と言われ、その翌日にはまわしをつけていたと言う。中学、高校と徐々に頭角をあらわし、同志社大学相撲部時代は1年生からレギュラーとなり、1992年から、西日本体重別115キロ以上級、全日本体重別115キロ以上級で2年連続で優勝。同年、大学実業団対抗でも優勝。大学では歴代6位の通算15個のタイトルを獲得し、「東の尾曽(元大関・武双山)、西の山本(土佐ノ海)」と並び称され、高校時代、大学時代を通じて良きライバルであった。本来は真面目で温厚な人柄だが、学生時代には行司の判定への不服から、タオルを投げるパフォーマンスを演じたこともある。また、現在は押し相撲であるが、学生時代は、格下相手には、とりこぼしを防ぐため、安全策で四つ相撲で勝負することもあった。
学生時代には数々のタイトルを獲得し、鳴り物入りで、角界一の名門部屋である伊勢ノ海部屋に入門し、1994年3月場所幕下付け出しで本名の「山本」の名で、初土俵。十両昇進を機に、四股名を「土佐ノ海」とあらためたが、これは、「土佐の太平洋のように、大きな存在となれ。」という願いをこめて、師匠の伊勢ノ海親方が命名したものである。プロ入り当時から「将来の横綱」と注目され、期待に違わず、トントン拍子に出世。負け越し知らずで1995年7月場所にいきなり西前頭7枚目で新入幕。新入幕での前頭7枚目という地位は、戦後2番目の大躍進である。日本相撲協会の期待の表れから、新入幕の初日にいきなり大関若乃花、2日目は、横綱貴乃花と対戦(結果は2番とも土佐ノ海の負け)した。この場所では7勝8敗に終わり、初土俵以来、初の負け越しとなった。
しかし、翌9月場所では、大関貴ノ浪を破るなどの活躍で11勝4敗の成績を修め、入幕2場所目にして、敢闘賞を受賞した。その後は、1996年1月場所に新小結、翌1997年5月場所に新関脇となる。さらに、1998年11月場所から翌1999年5月場所にかけては4場所連続、合計6個の金星を獲得した。これは史上初のことであり、彼の実力者ぶりを証明している。だが、はたきや引き技に屈して前に落ちる悪癖によって負けるケースも多い。だが、全盛期は立合いの馬力と突き押しを武器に、三役、幕内上位に定着して活躍。魁皇、武双山とともに御三家と称され、大関候補と目された時期もあった。だが、上半身に比べ下半身が脆く、下半身を怪我をする度に低迷を繰り返し、これがライバルの魁皇や武双山に遅れをとってしまう原因ともなった。記録面では、通算金星11個は歴代3位、三賞受賞13回は同7位タイの記録である。
また、1999年11月場所から2000年7月場所にかけて、三役での連続勝ち越しを続けたが、その間一度も関脇に復帰できず、この番付運の悪さゆえに、5場所連続での小結在位を記録(麒麟児、琴光喜と共に史上1位)した。さらに補足するならば、2005年5月場所時の33歳での関脇復帰は、平成に入って初めての記録である。1998年11月場所から2006年1月場所にかけては、幕内での連続出場を続けており、この記録は、現役1位であったが、2006年3月場所での十両陥落によって、660回でストップした。少し遡るが、2004年12月25日には、年寄株・立川を取得した。若い頃は突き押し相撲にこだわりを見せていたが、ベテランの域に入ってからはそれに加えて、学生時代以来の四つを併用するようになった。
2005年11月場所中の琴ノ若の引退で、2005年11月場所千秋楽時点で大関・魁皇と共に現役最年長幕内力士となった。幕内最年長は本人にとっても目標とするものだったようだが、1971年生まれの北桜・皇司が十両にいて、時として幕内に上がる為、彼ら2人の番付如何でこの記録は流動的になる(関取最年長は皇司)。また、2005年3月場所には2大関を破るなどの活躍で、10勝5敗の好成績だったにも関わらず、その後は一転して負けがこみ、西関脇だった5月場所から2006年1月場所にかけて5場所連続負け越した。2005年は年間37勝53敗と、その年の幕内力士の中で年間最多敗となってしまう。特に2006年1月場所では東前頭14枚目で5勝10敗と負け越してしまい、翌3月場所の十両陥落が決定したが、3月場所では西十両筆頭で9勝6敗と勝ち越して、5月場所での返り入幕を果たした。その5月場所では、2005年3月場所以来、7場所ぶりの幕内での勝ち越しを決めた。だがその後は3場所連続の負け越しを喫し、特に2006年11月場所では西前頭12枚目で5勝10敗と5点の負け越しで、幕内残留が危ぶまれたが、2007年1月場所の番付は幕尻の東前頭16枚目で、苦しみながらも8勝7敗と千秋楽に勝ち越した。しかし翌場所は西前頭14枚目で6勝9敗と負け越し、十両陥落が濃厚になった。
[編集] エピソード
- 大の甘党で、漁師の長男であるにもかかわらず、酒・海・魚は大の苦手である。
- 道によく迷う方向音痴。
- 番付運が悪い。
- としおちゃまとも一部では呼ばれている。
- 立合いが合わなかったときは「すいません」と、集音マイクが拾うほどの声で謝るなど礼儀深い。また勝利力士インタビューでは力士に似合わずはっきりとした語り口をみせる。立合いでは相手に突進する際に大声を出す。
- 2005年には、北海道などで、相撲健康体操の実演を行うなど、精力的な活動もしている。
- 弟は、幕内の豊ノ島の高校時代の恩師。
- 2005年5月場所では二日続けて栃東、千代大海の両大関に立合いでの変化を食らってしまった。連日の大関の注文相撲に、熱戦を期待した館内からは溜め息がもれた。
- 同じ四国出身で大学相撲でも同期の玉春日とは非常に仲がいい。
- 趣味は映画鑑賞。韓国俳優のヨン・ジョンフンのファンでもあり、2005年8月に来日していたジョンフンの東京でのファンミーティングにゲストとして登場し、ファンを驚かせた。「ドラマ『悲しき恋歌』でのヨン・ジョンフンさんがすごくカッコイイと思った。ファンミーティングをするという噂を聞いて、ヨン・ジョンフンさんに一目会いたくて来ました」と語り、自らの浴衣をプレゼントした。また、土佐ノ海はヨン・ジョンフンの出演映画『スウィートドリーム』のロケ地となっていた高知県の出身である。
- 新入幕を果たした1995年7月場所から2004年5月場所までの9年間、前頭1桁(9枚目)以上の地位をずっと保っていた。2004年7月場所初めて前頭2桁を経験した。
- 2006年3月場所は、64場所連続で守った幕内の座から陥落し、10年ぶりに十両の土俵に上がった。2005年5月場所に最高位の関脇に返り咲いていたが、関脇の地位から一度の勝ち越しも無く十両陥落という極めて珍しいパターンである。
- 三役在位20場所を達成した力士は、昭和以降14人いるが、土佐ノ海の33歳2ヶ月での20場所到達は、その中で最年長記録である。
[編集] 幕内での場所別成績
場所 | 地位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
平成7年(1995年)7月 | 西前頭7枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成7年(1995年)9月 | 東前頭8枚目 | 11 | 4 | 0 | 敢闘賞(初) |
平成7年(1995年)11月 | 西前頭筆頭 | 9 | 6 | 0 | 殊勲賞(初)・技能賞(初)・金星(2、曙・貴乃花) |
平成8年(1996年)1月 | 東小結 | 8 | 7 | 0 | - |
平成8年(1996年)3月 | 東小結 | 6 | 9 | 0 | - |
平成8年(1996年)5月 | 西前頭筆頭 | 5 | 10 | 0 | - |
平成8年(1996年)7月 | 東前頭5枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成8年(1996年)9月 | 西前頭6枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成8年(1996年)11月 | 西前頭筆頭 | 8 | 7 | 0 | 殊勲賞(2) |
平成9年(1997年)1月 | 東前頭筆頭 | 9 | 6 | 0 | 殊勲賞(3)・金星(4、曙・貴乃花) |
平成9年(1997年)3月 | 東小結 | 8 | 7 | 0 | - |
平成9年(1997年)5月 | 西関脇 | 10 | 5 | 0 | 敢闘賞(2) |
平成9年(1997年)7月 | 東関脇 | 8 | 7 | 0 | - |
平成9年(1997年)9月 | 東関脇 | 5 | 10 | 0 | - |
平成9年(1997年)11月 | 西前頭筆頭 | 7 | 8 | 0 | - |
平成10年(1998年)1月 | 東前頭3枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成10年(1998年)3月 | 東前頭6枚目 | 10 | 5 | 0 | 敢闘賞(3) |
平成10年(1998年)5月 | 西前頭2枚目 | 4 | 11 | 0 | - |
平成10年(1998年)7月 | 東前頭7枚目 | 7 | 7 | 1 | 左足首関節三角靱帯損傷・左膝下腿挫傷 |
平成10年(1998年)9月 | 東前頭9枚目 | 0 | 0 | 15 | 公傷制度適用 |
平成10年(1998年)11月 | 東前頭9枚目 | 12 | 3 | 0 | 敢闘賞(4)、金星(5、若乃花) |
平成11年(1999年)1月 | 西前頭筆頭 | 7 | 8 | 0 | 金星(6、貴乃花) |
平成11年(1999年)3月 | 東前頭2枚目 | 8 | 7 | 0 | 金星(8、貴乃花・若乃花) |
平成11年(1999年)5月 | 東前頭筆頭 | 8 | 7 | 0 | 殊勲賞(4)、金星(10、曙・若乃花) |
平成11年(1999年)7月 | 東小結 | 11 | 4 | 0 | 敢闘賞(5) |
平成11年(1999年)9月 | 西関脇 | 7 | 8 | 0 | - |
平成11年(1999年)11月 | 西小結 | 10 | 5 | 0 | 殊勲賞(5) |
平成12年(2000年)1月 | 東小結 | 8 | 7 | 0 | - |
平成12年(2000年)3月 | 東小結 | 8 | 7 | 0 | - |
平成12年(2000年)5月 | 東小結 | 9 | 6 | 0 | - |
平成12年(2000年)7月 | 東小結 | 7 | 8 | 0 | - |
平成12年(2000年)9月 | 東前頭筆頭 | 5 | 10 | 0 | - |
平成12年(2000年)11月 | 東前頭4枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成13年(2001年)1月 | 東前頭5枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成13年(2001年)3月 | 東前頭8枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成13年(2001年)5月 | 西前頭3枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成13年(2001年)7月 | 東前頭4枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成13年(2001年)9月 | 東前頭3枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成13年(2001年)11月 | 西前頭2枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成14年(2002年)1月 | 東前頭7枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成14年(2002年)3月 | 西前頭筆頭 | 7 | 8 | 0 | - |
平成14年(2002年)5月 | 西前頭2枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成14年(2002年)7月 | 西小結 | 10 | 5 | 0 | 殊勲賞(6) |
平成14年(2002年)9月 | 西関脇 | 6 | 9 | 0 | - |
平成14年(2002年)11月 | 西前頭筆頭 | 8 | 7 | 0 | - |
平成15年(2003年)1月 | 東前頭筆頭 | 8 | 7 | 0 | - |
平成15年(2003年)3月 | 西小結 | 8 | 7 | 0 | - |
平成15年(2003年)5月 | 東小結 | 4 | 11 | 0 | - |
平成15年(2003年)7月 | 東前頭5枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成15年(2003年)9月 | 西小結 | 7 | 8 | 0 | - |
平成15年(2003年)11月 | 西前頭2枚目 | 10 | 5 | 0 | 殊勲賞(7)、金星(11、武蔵丸) |
平成16年(2004年)1月 | 東関脇 | 4 | 11 | 0 | - |
平成16年(2004年)3月 | 西前頭4枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成16年(2004年)5月 | 西前頭9枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成16年(2004年)7月 | 東前頭11枚目 | 11 | 4 | 0 | - |
平成16年(2004年)9月 | 西前頭4枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成16年(2004年)11月 | 東前頭6枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成17年(2005年)1月 | 西前頭2枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成17年(2005年)3月 | 東前頭3枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成17年(2005年)5月 | 西関脇 | 4 | 11 | 0 | - |
平成17年(2005年)7月 | 東前頭4枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成17年(2005年)9月 | 東前頭8枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成17年(2005年)11月 | 東前頭11枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成18年(2006年)1月 | 東前頭14枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成18年(2006年)5月 | 西前頭12枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成18年(2006年)7月 | 西前頭9枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成18年(2006年)9月 | 西前頭12枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)11月 | 西前頭12枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成19年(2007年)1月 | 東前頭16枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成19年(2007年)3月 | 西前頭14枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
通算 | 512 | 522 | 16 | 殊勲賞(7)、敢闘賞(5)、技能賞(1)、金星(11) |
[編集] 主な成績
2007年3月場所現在
- 通算成績:587勝549敗16休(78場所)
- 幕内成績:512勝522敗16休(70場所)
- 幕内在位:70場所
- 幕内連続在位:64場所(1995年7月~2006年1月)
- 三役在位:20場所(関脇7場所、小結13場所)
[編集] 各段優勝
- 十両優勝:2回
- 幕下優勝:1回
[編集] 三賞・金星
2007年3月場所現在
- 栃乃洋と並んで歴代3位タイ