土屋エンジニアリング
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土屋エンジニアリング(つちや- )は、土屋春雄(土屋武士の実父)が代表を務めるレーシングチーム。過去には全日本ツーリングカー選手権などで活躍した。現在はSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦中。
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[編集] 全日本GT選手権・SUPER GT
当初はGT300クラスからの参戦であった。マシンは独自のノウハウで仕立てたMR2であった。1996年の第5戦のみ参戦した。ちなみにこの時のドライバーは後に2006年同チームでコンビを組むことになる土屋武士と織戸学であった。
1997年シーズンは第5戦を除いて参戦。ドライバーは土屋が残留し相棒には長嶋正興となった。第3戦で参戦以来初の優勝を飾った。シリーズ争いは1戦欠場したのが響いてランキング3位に終わった。
1998年シーズンはドライバーを刷新。ベテランの鈴木恵一と若手の館信吾という布陣であった。この年は無敵の強さと速さを誇り、事故により中止となった第2戦を除いた6戦中5勝という高い勝率を上げ結果独走でシリーズタイトルを獲得した。
1999年シーズンはアペックスとのジョイントで参戦。これを受けてドライバーは新田守男と高木真一に改められた。この年は日産が新型シルビアを投入し速さを発揮するが持ち前の強さでこれに応戦。昨年とは違い優勝は1回のみであったが安定したポイント獲得が功を奏しシリーズ2連覇を達成する。アペックスはこの1年間の経験を元に次の年から投入される新型マシンのMR-Sの開発に生かされることとなった。一方の土屋武士はこれでさらなる上の目標を目指すべくGT300クラスでの活動を終え翌年よりGT500クラスへとステップアップすることとなった。
GT500クラスへの参戦は2000年より。GT500参戦当初は未知数だったが、近年は真価を発揮しつつある。(しかし、旧型マシンのためか最近は予想外の苦戦が強いられている) マシンは2000年から2006年までの間、トヨタ・スープラを使用した。横浜ゴム・ADVANタイヤで参戦。そのためか、岡山国際サーキットを得意としており、同地で行われた2005年の開幕戦では優勝を飾っている。
2000年はエンドレスとのジョイントで参戦。ドライバーは1996年に同チームでドライブした織戸とエンドレスとヨコハマタイヤの開発ドライバーをつとめていた木下みつひろで挑んだ。参戦初年度であることとマシンが前年型スープラであったことから苦戦を強いられたが、この年での経験が後に生かされることとなった。
2001年シーズンもマシンは前年型のものだが、空力パーツは最新型ものとなり戦闘能力での差をできるだけ縮めようとした。ドライバーは織戸と荒聖治で挑んだ。結果はマシンが前年型スープラであったことから苦戦したものの練習走行においてはトップタイムを発揮したりと徐々に進化を遂げてきた。
2002年は荒が残留し、相棒には新たに山路慎一を迎え入れた。この年も前年型マシンに独自のアップデートを施したマシンで参戦。開幕前のテストでは好タイムをマークしておりさらなる成長を遂げた。決勝では初の表彰台を獲得するなど以前より結果を残し、十分に活躍をしたシーズンであった。
2003年はADVANタイヤが誕生してから25周年という年。ヨコハマタイヤのサポートが強化され、マシンカラーは赤と黒がベースのADVANカラーとなった。チーム名もTEAM ADVANツチヤに改められた。ドライバーは荒とジェレミー・デュフォアで挑んだ。マシンはこれまで前年型マシンだったが、この年からは「GT500クラスにおいて、トヨタ車で参戦している全チームに最新型マシンを供給する。」というトヨタの方針により、念願のワークスチームと同スペックの最新型車両を手に入れる。開幕戦では、チームへの新車の到着が遅れまともにテストもしていないながらも、いきなりトップ争いを繰り広げた。残念ながら周回遅れのマシンと接触し脱落したもののその速さは凄まじいものだった。その後も第6戦で表彰台、最終戦ではポールポジションを獲得したものの、残念なことに優勝までは至らなかった。
2004年から富士通テンの「ECLIPSE」ブランドがメインスポンサーをつとめる。前年に引き続き、最新型の車両が供給される。ドライバーは2003年にサードで1勝をあげた織戸とドミニク・シュワガーに一新した。織戸にとっては2001年以来の古巣復帰となった。この年のタイヤは暖まりが早く、スタートで一気にライバル車を抜き去るシーンが見受けられた。特に第2戦では3位スタートということもあってか一気にトップを走行することもあった。しかし、表彰台に2度立つものの安定した結果は残せず前年より好結果を残すが不満が残る1年となった。
2005年は、事情により前年型のマシンを使用した。メインスポンサーは富士通テン(ECLIPSE)、タイヤ供給は横浜ゴム(ADVAN)。開幕戦ではライバルの不調もあり、またマシンのセッティングもばっちり決まり見事優勝を決めた。しかしその後はワークスマシンの開発が進み苦戦を強いられた。
2006年は他のトヨタ系チームが、新規開発車である「レクサス・SC430」に車両を変更して参戦するのに対し、前年に他チームが使用していた2005年型スープラで引き続き参戦。シーズン中にはSC430や他のワークスの開発が進むことが予測される。そのため、開幕戦が勝負である。補強としては織戸のパートナーに監督の実の息子である土屋武士が加入。しかし、前年以上の苦戦を強いられ、結果未勝利に終わった。 ちなみに、2006年からSUPER GTで参戦するチーム名はトヨタ・チーム・ツチヤになった。また、カラーリングが白と赤がベースとなった。
2007年は再び、織戸・土屋組と変わらないが、マシンは待望のレクサス・SC430を投入し、これで少なくとも優勝争いはできると思われる。しかし、新しい規定によって去年とは別物のマシンになり更に新しい車種ということで新たなタイヤ開発をやり直さなければいけなくなったので、序盤はなかなか結果が出ないと思われる。だが、岡山戦では得意コースとあってかワークス勢に食い込み見事6位入賞を果たした。
[編集] チームの評価
GT500参戦当初は前年型のマシンということもあり、優勝争いに手出しするほどの戦力ではなかった。ここ数年は2000年同様に前年型モデルを使用していたが、戦力は僅かだが上昇気味だった。2003年は待望の新型モデルを投入することができ、ドライバーもジェレミー・デュフォアを獲得できた。開幕戦では上位争いに食い込むが、マシンとの接触が原因でリタイアした。最終戦はポール・ポジションでのスタートだが、GT300のマシンがスピンした影響で巻き込まれてしまい失速。2004年度は織戸とシュワガーと一新したが、前年同様の成績だった。2005年度はこれまでとは違って前年型のマシンを使うことになったが、開幕戦は他ワークスを含めて新型のスープラもポテンシャルが皆無であり、優勝争いも可能となりついにチーム初の優勝となった。
[編集] 過去の実績
GT300時代
- 1996年 - つちやMR2 織戸学/土屋武士 10pts
- 1997年 - つちやMR2 土屋武士/長嶋正興 52pts
- 1998年 - つちやMR2 鈴木恵一/館信吾 106pts
- 1999年 - モモコルセ・アペックスMR2 新田守男/高木真一 73pts
GT500時代
- 2000年 - エンドレスアドバンスープラ 木下みつひろ/織戸学 11pts
- 2001年 - FK/マッシモADVANスープラ 織戸学/荒聖治 11pts
- 2002年 - FK/マッシモADVANスープラ 荒聖治/山路慎一 32pts
- 2003年 - ADVANスープラ 荒聖治/ジェレミー・デュフォア 26pts
- 2004年 - ECLIPSE ADVANスープラ 織戸学/ドミニク・シュワガー 31pts
- 2005年 - ECLIPSE ADVANスープラ 織戸学/ドミニク・シュワガー 26pts
- 2006年 - ECLIPSE ADVANスープラ 織戸学/土屋武士 18pts