土屋直樹
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時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 寛永11年(1634年) | |||
死没 | 延宝9年6月30日(1681年8月13日) | |||
別名 | 頼直(別名) | |||
戒名 | 宗哲 | |||
墓所 | 東京都台東区松が谷の海禅寺 | |||
官位 | 従五位下、伊予守 | |||
藩 | 上総久留里藩主 | |||
氏族 | 土屋氏 | |||
父母 | 父:土屋利直、母:松平正綱の養女 | |||
兄弟 | 土屋直樹、相馬忠胤、土屋喬直 | |||
妻 | 正室:松平正信の娘 | |||
子 | 土屋逵直 |
寛永11年(1634年)、第2代藩主・土屋利直の子として生まれる。延宝3年(1675年)に父が死去したため、家督を継いで藩主となる。このとき、弟の土屋喬直に1000石と新墾田1000石の合わせて2000石を分与したため、久留里藩は2万石となった。同年12月、従五位下、伊予守に叙位・任官する。
延宝7年(1679年)8月7日、狂気を理由に改易され、久留里城も破却された。しかし祖先の功績などを考慮されて、長男の土屋逵直に遠江国内で3000石を与えられ、土屋氏は旗本として存続した。
以後、直樹は逵直のもとで余生を送り、延宝9年(1681年)6月30日に死去した。享年48。
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