地獄 (仏教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
基本教義 |
---|
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
|
部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
インドの仏教、日本の仏教 |
韓国の仏教 |
経典 |
聖地 |
|
ウィキポータル |
地獄(じごく)とは、元々は閻魔大王、牛頭、馬頭などの古代インドの民間信仰である死後の世界の思想が、中国に伝播して道教などと混交して、仏教伝来の際に日本に伝えられたもの。
[編集] 概説
そのため元来インド仏教には無かった閻魔大王を頂点とする官僚制度などが付け加えられた。その後、浄土思想の隆盛とともに地獄思想は広まり、民間信仰として定着する。
餓鬼、畜生とともに三悪趣のひとつであり、さらに修羅を加えた四悪趣のひとつであり、また三悪趣に人間、天を加えた五悪趣のひとつである。また、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上とともに六道のひとつである。また、十界のひとつである。
日本仏教で信じられている処に拠れば、死後、人間は三途の川を渡り、閻魔の裁きを受け、罪のあるものは地獄に落とされる。地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。そして服役期間を終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされる。インドの仏教では人は死んでから七日毎に計七回の転生の機会があり、例外なく49日以内に全員が転生するので、地獄のような観念は無い。
こうした地獄の構造は、イタリアのダンテの『神曲』地獄篇に記された九圏からなる地獄界とも共通することがたびたび指摘される。たとえば、ダンテの地獄には、三途の川に相当するアケローン川が流れ、この川を渡ることで地獄に行き着くのである。
『古事記』には地獄に似ている黄泉国が登場する。ただし、『日本書紀』の中に反映されている日本神話の世界では、地獄は登場しない。代わりに恨みや果たせなかったのぞみなどを抱えたまま死んだ魂は、鬼となるといった物語は、菅原道真や今昔物語などのその例が見られるが、地獄に落ちてといったものはでてこない。
地獄は、日本の文化史の中では比較的新しいもので、これが特に強調されるようになったのは、鎌倉時代の末法思想の流行からのことと思われる。
地獄思想の目的は、一つには宗教の因果応報性であり、この世界で実現されない正義を形而上世界で実現させるという機能を持つ。(→キリスト教の「最後の審判」)
地獄のこの世と異なる点の一つに、「自然」が無いということがある。 自然環境破壊に対する関心が高まっている現在においてこのことは示唆的であろう。
なお、地獄はサンスクリット語で「ナラカ」といい、奈落(ならく)と音写された。
神道では江戸後期に平田篤胤が禁書であったキリスト教関係の書物を読み、幽明審判思想を発明した。すなわちイエスの最後の審判のように、大国主命(おおくにぬしのみこと)が死者を「祟り神」などに格付けしてゆくという発想である。
[編集] 地獄の色
東アジアの仏教では、地獄の色は道教的に、あるいはその影響を受けた陰陽道的に「黒」で表す。餓鬼は赤、畜生は黄、修羅は青、この三色を混ぜると地獄の黒になると言われる。また、節分で追われる赤鬼、黄鬼、青鬼はここから来ている。