堀田正富
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堀田 正富(ほった まさとみ、寛延3年(1750年) - 寛政3年11月3日(1791年11月28日))は、近江堅田藩の第5代藩主。父は第4代藩主・堀田正賓。母は橋本氏。官位は従五位下。若狭守。左京亮。
幼名は梅之丞。1758年、父の死去により後を継いだ。子供は娘しか産まれなかったため、1786年3月26日 (旧暦)に仙台藩主・伊達宗村の八男である堀田正敦を養嗣子として迎え、なおかつ自分の娘と結婚させた上で1787年9月16日 (旧暦)に隠居し、家督を正敦に譲った。
1791年11月3日 (旧暦)、42歳で死去。法号は沢応元潤義雲院。
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