大久保村 (埼玉県)
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大久保村(おおくぼむら)は、かつて埼玉県北足立郡にあった村で、1955年に隣の土合村とともに浦和市に合併され消滅した。
この村は1889年に上大久保、下大久保、五関、塚本、宿、白鍬、神田、植田谷領在家、植田谷領領家の9つの村が合併して誕生、比較的大規模な村であった大久保の名を新村名とした。 これら9つの旧村名は以後も大字として継承され、現在もさいたま市桜区内の町域名(植田谷領在家は「在家」、植田谷領領家は「大久保領家」にそれぞれ変更されている)となっている。 2005年現在のこの地区には埼玉大学がある。住宅街が広がっているが荒川河川敷周辺には農地も多く残る。