荒川 (関東)
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荒川(あらかわ)は、一級水系である荒川水系の本流である、埼玉県および東京都を流れる一級河川。長さ173km、流域面積2940km²。川幅(両岸の堤防間の距離)は御成橋付近で2.5kmになり、日本最大である。
荒川 | |
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さいたま市を流れる荒川(2004年1月) |
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延長 | 173 km |
水源の標高 | 2475 m |
平均流量 | 30 m³/s |
流域面積 | 2,940 km² |
水源 | 甲武信ヶ岳 |
河口 | 東京湾 |
流域 | 埼玉県 - 東京都 |
目次 |
[編集] 地理
[編集] 概要
埼玉県、山梨県、長野県の三県が境を接する甲武信ヶ岳(こぶしがたけ、奥秩父)に源を発し、秩父山地の水を集めながら秩父盆地まで東に流れる。秩父盆地から長瀞渓谷まで北に、その後東に流れて大里郡寄居町で関東平野に出る。熊谷市で南南東に向きを変え、川越市で入間川を併せる。戸田市近辺で再び東流、埼玉・東京の都県境を流れ、北区の新岩淵水門で隅田川を分ける。その後再び南流し江戸川区で東京湾に注ぐ。
[編集] 源流の定義
この川の源流は、2つの説がある。一つは、秩父湖の少し上流の滝川と入川の合流地点。確かに地形図や地図を見れば、ここから上流の川に「荒川」の文字はない。もう一つは、上記の様に甲武信ヶ岳の埼玉県側の山腹、標高1990mの所にある「真の沢」が源流という説(但し、荒川源流の石碑は入川がそれぞれの沢に分かれる地点にある)。
[編集] 荒川開発史
荒川は、江戸時代初期以前は、現在の元荒川の川筋を通り、つまり現在の埼玉県の平野部を東に下り、武蔵国と下総国の境あたり、今の越谷市・吉川市の周辺で当時は南流していた利根川と合流して、それ以南を合流と分流を繰り返しながら江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川だった。また、しばしば川筋を変え、利根川と合流した本流が今の綾瀬川を流れていた時代もあり、戦国時代に水路が掘られて、東の星川に繋がれ、綾瀬川と分流した。「荒」という名の通りの暴れ川だったため、下流域の開発は遅れていた。 寛永6年(1629年)に、関東郡代の伊奈忠治らによって現在の熊谷市久下で河道を締切り、和田吉野川の河道に付け替えて入間川筋に落ちるようになった。元の河道は、熊谷市で荒川から離れて吉川市で中川と合流する元荒川となっている。同時期の工事で利根川は東に瀬替え(利根川東遷事業)して渡良瀬川、鬼怒川に合流するようになった。付け替え後の荒川(元の入間川)は、下流で現在の隅田川の河道を通っていた。この部分は台風で大雨が降るとしばしば溢れて江戸(後に東京)の下町を水浸しにした。荒川下流は流速が遅い。明治時代の調べでは、大雨の際、熊谷市での最高水位時と川口市の最高水位時の差が48ないし60時間あった[1]。洪水が人や家を押し流すことはないが、浸水による家屋と農作物の被害は深刻であった。
1910年から20年をかけて現在の北区から東に荒川放水路を掘って中川の河道に繋げる大工事を行い、こちらを荒川本流とした。さらに荒川が流れ込んできて旧来の河道(旧中川)が断ち切られ、荒川に流れ込むようになってしまった中川の水を逃がすため、その東に新中川が掘られて旧江戸川(元の利根川本流)に繋げられた。さらにその東へ江戸川放水路がつくられて江戸川の本流が旧江戸川から分離されて、東京都東部の大河川は現在見られる流路となった。
戦後、1947年(昭和22年)のカスリン台風により荒川流域は大きな被害を受け、建設省(現国土交通省関東地方整備局)はダムによる洪水調節を図り、二瀬ダムが本川に建設された。1964年(昭和39年)、東京都は記録的な渇水に見舞われ(東京砂漠)、利根川より緊急的に導水を図り対処した。その後1965年(昭和40年)に秋ヶ瀬取水堰を建設。更に荒川水系が「水資源開発促進法」の指定河川となり水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)が総合的な水資源開発を行った。この頃隅田川の水質汚濁が深刻化、メタンガスの沸き出る河川となり早慶レガッタまでが中止となった。これらを解決すべく1968年(昭和43年)から利根大堰による導水で上水道供給と水質改善を図った。又、上流部には滝沢ダム・浦山ダム・有間ダム・合角ダムを建設し洪水調節や上水道を確保。更に笹目橋上流に荒川調整池を建設して緊急時の洪水調節を行った。
だが1990年代以降公共事業再評価の議論が為される中で、都幾川に建設予定だった大野ダムの建設が1995年(平成7年)に中止と成り、大洞ダム再開発事業も代替案と比較検討して事業を継続するかどうか現在検討している。
[編集] 荒川水系の河川施設
上流部には秩父湖(二瀬ダム)などのダム湖が多くあり、首都圏の水がめの一端を担っている。また、利根川水系のダム湖で蓄えられた水は行田市の利根大堰から武蔵水路を経て荒川に落ち、荒川水系の水も加えてさいたま市の秋ヶ瀬取水堰で取水され、朝霞水路を通って独立行政法人水資源機構利根導水総合管理所秋ヶ瀬管理所の沈砂池及び接合井を経て東京都水道局の朝霞浄水場と三園浄水場に導水される。埼玉県だけでなく東京都のかなりの部分の水道水の元となっている。
[編集] 荒川にまつわる話題
埼玉県大里郡寄居町にある県立のさいたま川の博物館は、荒川を主にとりあげている。また、隅田川との分岐点には、国土交通省荒川下流河川事務所に付属して荒川知水資料館がある。
荒川はアメリカ合衆国のワシントンD.C.を流れるポトマック川と、姉妹川(sister river)として関係ある。
荒川の土手では毎年3月に荒川市民マラソンが開催される。板橋区スポーツレクリエーションスタンドから江戸川区の荒川大橋までを折り返すコースとなっている。制限時間が7時間と長いため、多くの市民ランナーが出場している。
[編集] 関連地形・施設
[編集] 荒川水系の主な川
[編集] 荒川に架かる橋梁の一覧
- 白川橋
- 平和橋
- 荒川橋
- 日野鷲橋
- 久那橋
- 柳大橋
- 巴川橋
- 佐久良橋
- 秩父公園橋(秩父ハープ橋)
- 秩父橋
- 和銅大橋
- 皆野橋
- 栗谷瀬橋
- 親鼻橋
- 秩父鉄道秩父本線
- 金石水管橋
- 高砂橋
- 白鳥橋
- 寄居橋
- 末野大橋
- JR八高線
- 正喜橋
- 東武東上線
- 玉淀大橋
- 花園大橋(花園橋)
- 関越自動車道
- 荒川第二水管橋
- 植松橋
- 押切橋
- 熊谷大橋(熊谷橋)
- 荒川大橋(国道407号)
- 久下橋
- 大芦橋
- 荒川水管橋
- 糠田橋
- 滝馬室橋
- 御成橋(埼玉県道27号東松山鴻巣線)
- 原馬室橋
- 高尾橋
- 荒井橋(埼玉県道33号東松山桶川線)
- 太郎右衛門橋(埼玉県道12号川越栗橋線)
- 樋詰橋
- 西野橋
- 開平橋(埼玉県道51号川越上尾線)
- JR川越線
- 上江橋(国道16号)
- 治水橋(埼玉県道56号さいたま上福岡所沢線)
- 羽根倉橋(国道463号 - 浦和所沢バイパス)
- 秋ヶ瀬橋(埼玉県道・東京都道40号さいたま東村山線)
- JR武蔵野線
- 幸魂大橋(国道298号 - 東京外郭環状道路)
- 笹目橋(国道17号新大宮バイパス)
- 戸田橋(国道17号 - 中山道)
- 東北新幹線・埼京線荒川橋梁
- JR東北本線(宇都宮線・高崎線・京浜東北線)
- 新荒川大橋(国道122号 - 日光御成街道)
- 鹿浜橋(東京都道318号環状七号線 - 環七通り)
- 五色桜大橋(首都高速道路中央環状線)
- 江北橋(東京都道307号王子金町江戸川線)
- 扇大橋(東京都道58号台東鳩ヶ谷線 - 尾久橋通り)
- 西新井橋(東京都道461号吾妻橋伊興町線 - 尾竹橋通り)
- 千住新橋(国道4号 - 日光街道)
- 東京地下鉄千代田線
- JR常磐線
- つくばエクスプレス線
- 東武伊勢崎線
- 京成本線
- 堀切橋(東京都道314号言問大谷田線)
- 新荒川橋 (首都高速道路6号向島線)
- 四ツ木橋(国道6号 - 水戸街道)
- 新四ツ木橋(国道6号バイパス)
- 京成押上線
- 木根川橋(東京都道449号新荒川堤防線)
- 平井大橋(東京都道315号御徒町小岩線 - 蔵前橋通り)
- JR総武本線
- 小松川大橋、新小松川大橋(京葉道路 - 国道14号)
- 荒川大橋(首都高速道路7号小松川線)
- 船堀橋(東京都道50号東京市川線 - 新大橋通り)
- 都営地下鉄新宿線
- 葛西橋(東京都道10号東京浦安線 - 葛西橋通り)
- 東京地下鉄東西線
- 清砂大橋(都市計画幹線街路第16号線 - 永代通り)
- 荒川河口橋(国道357号 - 東京湾岸道路)
- JR京葉線
- その他
[編集] その他
[編集] 注
- ^ 河野天瑞「荒川鉄橋建築工事報告 第一」、『工学雑誌』48巻。
[編集] 外部リンク
[編集] 荒川写真集
千住新橋(国道4号) |
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