大友義珍
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大友 義珍(おおとも よしたか、享保13年(1728年) - 没年不詳)は江戸時代の高家旗本。大友義武の長男。生母は大森氏。通称は孫千代丸、刑部、左京。官位は従四位上侍従・式部大輔。
延享2年(1745年)3月15日将軍徳川吉宗に御目見する。宝暦3年(1753年)4月8日父義武の隠居により、家督を相続する。宝暦12年(1762年)8月15日高家職に就き、従五位下侍従・近江守に叙任する。後に従四位上まで昇り、因幡守・式部大輔と改める。寛政2年(1790年)2月29日高家肝煎となる。寛政9年(1797年)11月12日老齢のために職務を免除される。享和3年(1803年)3月27日隠居し、養子義方に家督を譲る。隠居料500俵を支給される。
正妻は高家旗本前田房長の養女(実父松平康平)。養子義方、長男義智(養子義方の養子)ら三男二女あり。
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