大庭景親
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大庭景親(おおば かげちか、生年不詳 - 治承4年10月26日(1180年11月15日))は平安時代後期の武将である。本姓は平氏。鎌倉氏の流れを汲む。
相模国(現在の神奈川県)出身。1156年(保元元年)の保元の乱では兄の大庭景義とともに源義朝に従う。のち罪を得て斬られるところを平氏に救われる。以後は平氏方の有力家人として仕えた。
1180年(治承4年)に平家打倒のため以仁王・源頼政が挙兵すると、足利忠綱とともに追討の任にあたり、これを破った(宇治川の戦い)。逃亡した頼政の一族を討伐するため関東に下向した際、今度は源頼朝の挙兵を知り、大軍を率いて頼朝を石橋山の戦いにて撃破する。
しかし、のち勢力を回復した頼朝に敗れ捕われて、頼朝の命を受けた兄の景義によって固瀬川(境川)(神奈川県藤沢市片瀬)で斬首される。
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