大日本愛国党
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大日本愛国党(だいにっぽんあいこくとう)は日本の政党・右翼団体。初代総裁は赤尾敏。
GHQ撤退直後の1951年、赤尾敏が結成。反共産主義の立場から民族主義よりも親米を優先。親韓国の立場をとる。
国家社会主義の傾向があり、天皇親裁の下での生産手段の公有を主張した。
赤尾が転向右翼(左翼からの転向者)であるため、「右翼思想の解釈に不敬発言がある」と評する者も一部にある。数寄屋橋での演説中「天皇を利用せねばならん。天皇でさえ庶民のためにある。」等と述べるなど、右翼ではないという右翼からの批判も一部にある。
基本的には行動的伝統右翼だが、赤尾敏総裁の存命中には、各種選挙に積極的に候補を立てていた。数寄屋橋で毎日行なっていた街頭演説を途切れさせたくないというのが主な理由だった。
赤尾敏死後、分裂。 現在の代表は敏の長男赤尾道彦で、街宣活動の他は機関紙『愛国新聞』の発行が行われていたが現在は廃刊となる。選挙への候補者擁立は行っていない。また東京大塚の自邸も取り壊され敷地の広さも手伝って現在駐車場になっている。(管理は子息の経営する赤尾興産が行っている。)
一方、書記長派は筆保泰禎が中心となり街頭宣伝活動とポスターの掲示、故・赤尾敏初代総裁の顕彰が主たる活動となっている。
元党員に山口二矢などがいる。