大本営発表
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大本営発表(だいほんえいはっぴょう)とは、第二次世界大戦における日本の大本営陸、海軍部による戦況などの公式発表である。
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[編集] 概要
- 帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり
ラジオ発表では放送前後などに、戦勝に対しては「分列行進曲抜刀隊」(陸軍部発表:陸戦)、「軍艦行進曲」(海軍部発表:海戦)、「敵は幾万」(陸海軍部共同発表)が、玉砕等悲壮な戦果には「海ゆかば」が演奏された。発表の総数は846回[1]。
戦況が好調に推移していた段階では内容も現実に即していたが[2]、ミッドウェー海戦においては海軍部隊の大損害を過小に発表、ガダルカナル島からの撤退を転進と表現するなどし、台湾沖航空戦の頃から現実から乖離した虚報となっていった。果ては占領地守備隊の全滅を「玉砕」と美化して表現した。なお、大本営が戦況を正確に把握しておらず、現場指揮官の報告した景気の良い戦果をそのまま発表したために現実と乖離した報道となった場合も多く、しばしば日本軍の現地司令官がそれを信じて悲惨な結果を招いた[3]。
大本営発表は、戦闘行動が続いていた1945年8月14日までに840回を数えて実質的に終わった。その後は大本営及帝国政府発表との名称で、第841回(8月21日午後1時)、第842回(8月21日午後5時)、第843回(8月22日午後3時30分)、第844回(8月23日午後5時30分)、第845回(8月24日午後5時30分)、第846回(8月26日午前11時)まで6回行われた。内容は日本陸海軍の行動でなく、アメリカを中心とする連合軍の日本占領にかかわる事項を伝えることに終始した。最後の発表(第846回)全文は以下のものであった。
- 本八月二十六日以降実施予定の連合国軍隊第一次進駐日程中連合国艦隊相模湾入港以外は夫々四十八時間延期せられたり
[編集] 現代日本における「大本営発表」
今日でも、有力な組織・団体や有名人を一方的に利するために行われる「公式発表」等を揶揄して呼ぶ場合もある。
[編集] 注記
- ^ 保阪正康『大本営発表は生きている』 はじめに p5 より
- ^ それでも真珠湾攻撃に参加し捕虜となった海軍特殊潜航艇乗員の事実を隠した、軍神を参照。
- ^ 特に大戦後期の攻勢作戦報道に顕著、堀栄三『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』を参照。
[編集] 参考文献
- 富永謙吾『大本営発表の真相史』(自由国民社、1970年)
- 平櫛 孝『大本営報道部 言論統制と戦意昂揚の実際』(光人社NF文庫、2006年) ISBN 4769824858
- 保阪正康『大本営発表は生きている』(光文社新書、2004年) ISBN 4334032427
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 大本營發表 (青森空襲を記録する会より)