台湾沖航空戦
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台湾沖航空戦(たいわんおきこうくうせん)とは1944年10月12日から16日まで行われた、アメリカ海軍機動部隊と日本軍基地航空部隊との間の戦闘。
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[編集] 本戦に至る経緯
マリアナ諸島の占領に成功した米軍は、次の攻略目標をフィリピン奪還とした。これを支援すべく、米海軍機動部隊は沖縄・台湾・フィリピン北部の基地を空爆した。
それに対し、日本軍は防衛作戦の為に用意していた航空隊(精鋭のT攻撃部隊含む)をアメリカ艦隊迎撃の為に投入した。
[編集] 参加兵力
日本軍
注:名称は艦隊とあるが、陸上基地の航空機部隊。
アメリカ軍
- 第38任務部隊(司令官:ウィリアム・ハルゼー中将):正規空母CV-9 エセックス・CV-12 ホーネット・CV-13 フランクリン・CV-16 レキシントン・CV-18 ワスプ(以上エセックス級)・CV-6 エンタープライズ、軽空母インディペンディンス級からなる空母17隻(航空機 約1,000機)を主力とする総数95隻。
[編集] 戦闘経過
- 1944年10月10日:アメリカ軍第38任務部隊が沖縄本島並びに周辺の島々を航空攻撃。
- 10月11日:同艦隊は南下してフィリピンを攻撃。
- 10月12日:同艦隊は台湾におよそ1,000機を投入して大空襲を行う。日本軍は特別編成のT攻撃部隊を投入し、米艦隊への攻撃を開始する。海軍爆撃機銀河や艦上攻撃機天山、陸軍四式重爆撃機飛龍などからなる航空機90機余りが出撃したが米軍の対空射撃を受け50機以上が未帰還となる。T攻撃部隊は16日まで攻撃を行ったが被害は大きくなるばかりであった。しかし、航空隊からの電文は大戦果を告げるものばかりだった。
[編集] 損害
日本軍
- 航空機 312機
米軍
なお、大本営発表では、
- 空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、(駆逐艦、巡洋艦を含む)艦種不明15隻撃沈・撃破。
[編集] 影響
大本営発表の大戦果は実際には、夜間雷撃と言う戦果確認が困難な状況で、味方機が撃墜された際の火柱を誤認したり、炎上した敵艦を別々の機が重複して数えたり、さらには大本営によって手心が加えられたためであった。
一部にはこの報告を疑う意見が出たが、日本海軍首脳陣は当初大戦果の報を信じていた。そのため、17日フィリピン攻略に襲来した米艦隊を台風避難中の残存艦隊と誤認。第一遊撃艦隊及び機動部隊に捷一号作戦を発動した。この作戦で、武蔵を含む戦艦3隻、瑞鶴を含む空母4隻、巡洋艦6隻、駆逐艦9隻、航空機180機を喪失。
フィリピン方面の航空作戦の指揮を執っていた台湾基地航空隊司令官の大西瀧治郎中将は。日本軍機の被害は甚大であり尚且つ、撃墜された戦闘機の殆どが敵機に攻撃をかける前に墜とされていたと言う事実が、そもそも特攻反対論者であった中将を観念させ、捷一号作戦遂行のため特攻という手段をとらざるを得なくなったとされる。
大本営発表を信じ、戦果誤認の事実を海軍から知らされなかった陸軍は、ルソン島での迎撃方針をレイテ島での決戦に変更。レイテ島への移動中、米機動部隊艦載機に撃破される。また、フィリピンでの決戦を決意し、台湾から増援を派遣。玉突きで、台湾には沖縄から精鋭とされる第9師団が転属させられた。そして沖縄への補充が間に合わず結果的に沖縄戦での戦力不足の原因ともなった。
なお、この大本営発表の戦果を信じた投資家たちのために、一時アメリカの株価が大暴落するという事態も発生した。
[編集] 参考文献
- 辻 泰明・NHK取材班『幻の大戦果 大本営発表の真相』(日本放送出版協会、2002年) ISBN 4140807296
- 神野正美『台湾沖航空戦-T攻撃部隊 陸海軍雷撃隊の死闘』(光人社、2004年) ISBN 4769812159