大河内久綱
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大河内 久綱(おおこうち ひさつな、元亀元年2月15日(1570年3月21日) - 正保3年4月3日(1646年5月17日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士。大河内秀綱の子。通称、金兵衛。
慶長15年(1610年)より、徳川家康に仕え、代官・勘定奉行として活躍した。関東地方の天領の年貢に関する事務を扱い、寛永15年(1638年)に職を退いた。後に徳川家光に老中として仕えた松平信綱は実子である。
[編集] 逸話
江戸時代後期に編纂された系譜集である干城録(かんじょうろく)には、以下のような逸話が記されている。
松平信綱の所には、老中という職業柄多くの進物が届いていたが、それを父にふるまっていた。久綱は、その進物を少しづつ換金しており、あるとき貯まった貯金で具足を調えて信綱に返したので、信綱が大変驚いたということである。