大泉滉
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大泉 滉(おおいずみ あきら、1925年1月1日 - 1998年4月23日)は日本の俳優。性格俳優として独特の存在感があり、怪優と呼ばれた。
[編集] 来歴・人物
日露混血の特異なアナキスト作家大泉黒石の息子として東京府北豊島郡雑司ヶ谷(現在の東京都豊島区雑司ヶ谷)に生まれる。「父方のじいさんはロシア貴族」あるいは「ロシア皇帝」とすら自称したが、実際はロシア皇帝と共に訪日した農家出身の侍従アレクサンドル・ステパノヴィチ・ヤホーヴィチが祖父であった。
父の都合により、各地を転々として過ごす。1937年、小学校卒業と共に劇団東童に入り、大泉ポーの芸名で子役として活躍。1940年、日活映画『風の又三郎』の又三郎役で映画デビュー。
旧制城西学園中学校(現・城西高等学校)を中退し、1946年、文学座に入団。この当時は二枚目俳優として活躍したが、1951年に出演した映画『自由学校』がきっかけでコメディアンに転身し、「トンデモハップン」などの流行語を生む。文学座退団後は、映画、放送開始されたばかりのテレビでコメディアンぶりを発揮。
英国制作の人形劇、『サンダーバード』では、科学者のブレインズの声を担当した。
プレイボーイとして知られ、結婚多数。また恐妻家でもあった。1989年から放送され、好評を得たフジテレビのバラエティ『わてら陽気なオバタリアン』には、夫婦で出演。妻・道子に反抗できず、尻に敷かれるダメ亭主というイメージにぴったりとはまった役柄で夫婦で毎回ショートコントを演じた。
趣味で完全有機農法を研究し、東京都国立市の自宅の庭で自らの糞便を利用して家庭菜園を営み、『ぼく野菜人』などの著書もあった。1998年4月23日、肺癌のため死去。享年73。
[編集] その他
- 歌