大関増儀
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大関 増儀(おおせき ますのり、文化8年8月27日(1811年10月14日) - 慶応元年12月13日(1866年1月29日))は、江戸時代後期の大名。下野国黒羽藩の第12代藩主。第10代藩主・大関増陽の次男。正室は秋月種任の娘、継室は堀直庸の娘。子に大関増昭、大関増裕室。官位は従五位下、伊予守。
父が隠居した年に生まれた。文政7年(1824年)、先代の藩主・大関増業が藩政改革の方策で河川工事を行なおうとしたとき、彼の父と同じ藩内保守派の反対を受けて隠居を余儀なくされ、その後継ぎとして擁立された。しかしこのため、藩内の実権は再び保守派の家臣に握られ、黒羽藩の財政は再び悪化した。
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