女性天皇
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女性天皇(じょせいてんのう)とは、女性の天皇のこと。古くから女帝と呼ばれることが多かったが、皇位継承問題の議論が盛んとなった2004年以降、日本の公文書や報道等では女性天皇の表現が用いられるようになった。
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[編集] 概説
日本では過去に8人10代の女性天皇が存在した。神功皇后や飯豊皇女を含め彼女らはすべて男系皇族である女性(男系女性天皇)であり、かつ既婚の場合は、即位に先立ち天皇の妻(皇后)で夫は故人だったものである。その内の6人8代は6世紀末から8世紀後半に集中している。
- 推古天皇(在位592年~628年)(第33代)
- 皇極天皇(在位642年~645年)(第35代)
- 斉明天皇(在位655年~661年)(第37代、皇極天皇の重祚)
- 持統天皇(在位686年~697年)(第41代)
- 元明天皇(在位707年~715年)(第43代)
- 元正天皇(在位715年~724年)(第44代)
- 孝謙天皇(在位749年~758年)(第46代)
- 称徳天皇(在位764年~770年)(第48代、孝謙天皇の重祚)
- 明正天皇(在位1629年~1643年)(第109代)
- 後桜町天皇(在位1762年~1770年)(第117代)
※神功皇后も天皇の代に数えることが近代以前は行われた。
※飯豊皇女は、古事記では履中天皇の娘、日本書紀では市辺押磐皇子の娘であるため公式には天皇とされていないが、扶桑略記に「第24代飯豊天皇」とあるため、天皇として扱うべきとの意見もある。
なお、上記の如く女性天皇とは単に女性の天皇を指す、個々の天皇の性別についての言葉であるが、語句の類似性から女系天皇と混同されることが多い。しかしながら、女系天皇とはその天皇自身の性別に関わらず母方から皇室の血統を受け継ぐという血筋についての言葉である(したがって女系の男性天皇・女系の女性天皇の両方があり得る)ため、両者は本質的に異なる概念である。
[編集] 女性天皇に関する動き
現行の皇室典範第1条には、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と定められており、前例のない女系天皇はもとより過去に例のある男系女性天皇もまた認められていない。この「女系」(血筋)と「女性」(性別)との二重の否定が、結果的に両者を混同させる一因になっているともいえよう。
しかしながら、皇族男子は秋篠宮文仁親王以来、40年間誕生せず、皇太子徳仁親王の第一子も内親王である敬宮愛子内親王であったことから、女性天皇や女系天皇を認めるように皇室典範を改正しようとする動きが見られていた(皇位継承問題を参照)。2006年9月に41年ぶりの男性皇族である秋篠宮悠仁親王が誕生したが、若い男性皇族不足から、皇位継承問題は終わっていないとする意見がある。
さらには、女性天皇が積極的に容認されない事情に「神道儀礼」の問題がある。皇室が行う神道儀礼には女性が行うことが出来ない儀礼が多種存在する。歴代女性天皇もその行事のみは中止していた。
現今の女性天皇の議論において「神道儀礼」について加味されないのは、祭祀継承を旨とする天皇家を無視すると言う批判もある。
[編集] 女性天皇の役割
天皇ではないが、現存記録上の日本の女王の最も古い例は、邪馬台国の卑弥呼である。この時代、祭祀は卑弥呼が、実際の政治は弟が行っていたようである。初の女性天皇である推古の時代も、実際の政治は推古の摂政であった甥の聖徳太子(あるいは叔父の蘇我馬子)が行っていたとも読める。
一般的には記紀の記述を尊重し、過去に存在した女性天皇は何れも男系の女性天皇であり、また女性天皇が皇族男子以外と結婚して産んだ子が皇位を継いだことは一度としてないとされている。
歴史学界では、女性天皇は皇統(皇室の男子血統)の断絶を忌避し、男系での継承を維持したという「女帝中継ぎ論」が通説であるが、民俗学界を中心に「中継ぎ論」の成立する余地は少ないとする意見もある。
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
- 皇室典範に関する有識者会議(根拠・構成員、開催状況)@首相官邸ホームページ
- 宮内庁
- 抹殺された女帝たち