宇都宮尚綱
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宇都宮尚綱(うつのみやひさつな、 永正9年(1512年) - 天文18年(1549年))は下野を支配した戦国大名宇都宮氏の当主。結城政勝の娘を妻とした。初名は俊綱。
父・宇都宮興綱が芳賀高経に殺されるとこれを討って宇都宮氏二十代当主となる。その後、尚綱は積極的な勢力拡大に乗り出したが、1549年、喜連川五月女坂の戦いで那須氏当主那須高資に敗れて戦死した。那須軍の奇襲を受けて動揺する自軍を統制しようと前線に出たところを那須氏家臣鮎ヶ瀬実光に射抜かれて絶命したという。
尚綱が死んだとき、後継者の宇都宮広綱は6歳という幼児であったため、家臣壬生綱房に宇都宮城を奪われ、広綱は芳賀高定に伴われ逃亡し、宇都宮氏は一時宇都宮城を失った形となった。
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