宇都宮興綱
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宇都宮 興綱(うつのみや おきつな、文明7年(1475年) - 天文5年(1536年))は日本の戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏第19代当主。第16代当主宇都宮正綱の子で、第17代当主宇都宮成綱の弟。宇都宮俊綱(尚綱)の父。
宇都宮氏の庶流の一族で、最初は父正綱の実家である芳賀氏の養子として継いでいたが、芳賀氏をまとめきれずまもなく当主の座を退いたといわれる。のちに結城政朝や壬生綱房らと図って、本家の当主で甥に当たる宇都宮忠綱を追放して、自ら宇都宮氏当主となった。しかし家臣の芳賀高経らがそれを快く思わず、やがて高経と対立してしまう。そしてその争いに敗れた興綱は隠居を余儀なくされ、その後に自害した。
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