宇都宮成綱
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宇都宮 成綱(うつのみや しげつな、応仁2年(1468年) - 永正14年(1517年))は日本の戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏十七代当主。宇都宮正綱の子で、宇都宮興綱・塩谷孝綱・武茂兼綱の兄。宇都宮忠綱・足利高基妻・結城政朝妻の父。
父正綱は宇都宮氏の庶流芳賀氏の一族であったが、本家の当主宇都宮明綱に子がないため家督を継いだ。その子成綱は若くして家督を継ぎ佐竹氏や那須氏など近隣の武士と争い勢力を伸ばした。古河公方家の争いにも介入し、娘婿の足利高基を支援し、高基の父足利政氏と対立した。芳賀景高など芳賀一族とは当初協力関係にあったが、次第に家中での専横が目立つようになり、また敵である足利政氏の味方をするなど敵対的行動もあったため、成綱は芳賀一族の勢力を削ぐため、1512年、景高の子で家老の芳賀高勝を謀殺したが、芳賀一族の反乱を招くことになり、家老壬生綱重や足利高基の力を借りてようやく鎮圧した(宇都宮錯乱)。結局、芳賀家の家督は成綱の弟興綱が継ぐことになり、成綱のもくろみは一応の成功をみたものの、自身も隠居を余儀なくされたばかりか、高勝の弟芳賀高経の恨みを買う結果となる。この遺恨がのちに宇都宮家の衰退を招くことになる。その後も子の忠綱を後見して活動したが、1517年、没した。
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