安部信峯
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安部 信峰(あべ のぶみね、万治2年(1659年) - 宝永3年5月21日(1706年7月1日))は、第4代武蔵国岡部藩藩主。第3代藩主安部信友の嫡男として生まれる。母は内藤飛騨守忠政の娘。正室は秋月種信の娘。子に安部信賢、内藤長頼。
延宝2年(1674年)にはじめて将軍徳川家綱に拝謁。貞享3年(1686年)10月には従五位下丹波守に叙任した。播磨赤穂藩主の浅野内匠頭長矩とは、ともに母が内藤忠政の娘、つまり母方の従兄弟の関係にある。そのため元禄14年(1701年)3月14日に起こった浅野内匠頭長矩による殿中刃傷の際には一族連座して一時出仕をとめられた。しかし5月にはまず出仕が許され、6月には将軍拝謁も許されるようになった。なおこの際に同じく従兄弟にあたる戸田采女正氏定(美濃国大垣藩主)も一緒に出仕をとめられていた。6月29日に家督相続したが、この際に弟安部信方に2,000石を分知している。8月にはじめて領地入りした。宝永2年(1705年)に岡部村に陣屋を移した。正確にはこのときから岡部藩は始まった。宝永3年(1706年)に死去。その跡は、次男の安部信賢が継いだ。
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