寺田透
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寺田 透(てらだ とおる 1915年3月16日 - 1995年)は文芸評論家・フランス文学者。神奈川県横浜市出身。神奈川一中から第一高等学校をへて東京帝国大学文学部仏文学科卒業、大学時代に、立原道造・杉浦明平とともに同人雑誌をやっていたが、立原が日本浪曼派に接近したことで絶交し、同人雑誌も終わりとなった。戦後東京大学教授を務めるも、1969年、大学紛争のときに事態の収拾法に不満をもち、辞職した。ただし当時の文章や対談では、以前から新制大学に「文人」は適合できないと感じていたと言っている。
1970年に『芸術の理路 法楽帳1968』で毎日出版文化賞受賞。
多数の著書・編著があり、主要著作は思潮社より『寺田透・評論』(第一期・全7巻、第二期・全8巻)に収められている。
[編集] 主な著作
- 「バロック芸術の精神」
- 「バルザック」
- 「道元の言語作用」
- 「正法眼蔵を読む」
- 「ドラクロア 1847~1852」
- 「ドストエフスキーを読む」
- 「泉鏡花」
- 「覚書日本の思想」
- 「わが横濱」
- 「人間喜劇の老女たちバルザック一面」