小出英タケ
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小出 英筠(こいで ふさたけ(ふさもと)、安永3年(1774年) - 文政4年5月10日(1821年6月9日))は、丹波園部藩の第7代藩主。父は第6代藩主・小出英常。母は井伊直存の娘。正室は松平頼謙の娘。継室は分部光実の娘。子に英発、娘(稲垣長剛室)。官位は従五位下、信濃守、伊勢守。
安永4年(1775年)、父の死去により2歳で後を継ぐ。天明7年(1787年)11月、天明の大飢饉が原因で大規模な百姓一揆が起こり、その鎮圧と解決に努めた。藩財政窮乏化のため、タバコの専売制を実施し、さらに藩校・教先館を設立する。財政改革にはあまり効果が無かったが、文化的には発展した。
文政4年(1821年)5月10日、48歳で死去し、後を子の小出英発が継いだ。
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